「小田原史談会」を紹介します
台風10号が、日本列島にそうように近づいています。
みかん園のある小田原ですが、ここでもカンカン照りかと思えば、突如として大雨となります。
今回は、天候の様子をにらみつつ、できることでのみかん畑の手入れでした。
しかし、大きな収穫がありました。
「小田原史談会」との出会いです。
「小田原史談会」の会報、2023年10月(275号)から2024年7月(278号)をいただきました。
私のブログを見ている方はご存じでしょうが。
私などの認識としては、
当地の小田原は、自然としては、みかん、漁業、石の採掘、温泉です。
歴史としては、源頼朝の旗揚げの地、豊臣秀吉の天下統一の一夜城、関東大震災の震源地、
などが定番材料として、
みかん園に来る人たちに、素人の浅知恵をふうちょうしてきていたんです。
今回、この「小田原史談会」の会報を見ると、
2023年10月 275号は、関東大震災を今とどめる記録を、埋もれていた拓本からさぐる。
2024年1月 276号は、東海道・箱根の甘酒茶屋の13代目の山本さんの話。
2024年4月 277号は、「関東大震災は繰り返す」-県温泉地学研究所の本多主任研究員の話。
2024年7月 278号は、小田原藩が平民の二宮尊徳をなぜ登用することにしたか。
ようするに、レベルが違うんです。
東京・八王子にも「史談会」があって、八王子の歴史の発掘を紹介しているはずですが、
小田原もまた、その歴史を、独特に発掘しているんですね。
これって、すごいことだと思いませんか。
歴史の愛好者は、歴史の真実を探る、それこそ損得が抜きなんです。
そこには、歴史教科書の全国的に一般化した定説、これは歴史として大事なんですが、
もっと、具体的な様子が発掘されていて、たいへんドラマチックなんです。
だいたい、関東大震災の震源地地は小田原方面ににあった、
首都東京はマスメディアも発達してますから、新聞も写真も残る。
私などの小田原・真鶴などは、へき地の寒村でしたから、
その震源地にもかかわらず、一般にはその記録材料がないわけです。
体験者はいなくなる。第二次世界大戦の経験だってそうなように。
ところが、石文などさまざまな形で、その体験が風化しないようにと、
先人たちは、その記録を残しているんですね。
しかし、それは注意しないと、人の目にならない、埋もれた記録なんです。
それと、科学です。
小田原は、箱根の温泉がありますから、伊豆や箱根など地震・地質学の銀座です。
現代科学が、それにどの様なアドバイスを提供してくれているか。
こうなると「小田原史談会」の会報は、
たんに歴史といっても、そのスケールは広大ですね。
たとえば、小田原は二宮尊徳が生まれた地ですが、
彼は歴史の都合により「芝刈りなわないわらじをつくり」と天まで祭り上げられた苦労・努力の代名詞のような人ですが。
しかし、それなりに身分制度の厳しかった時代にあって、それなりに評価される根拠があるんです。
江戸時代の小田原藩、さらには徳川幕府というもの、その事情を知るうえで、この人はやはり貴重な存在なんですね。時代の制約をこえるような、そんな人でもあったんです。
それを、どの様に「小田原史談会」が紹介しているか。
これは、これから読むところで、これからの楽しみですが。
しかし、確かなことは、「小田原史談会」の会報を、まだ1つ2つしか読んではいないんですが、
それは、それなりに史実を大事にしている、歴史の具体的根拠を大切にして紹介していること。
当り前と言えば当たり前ですが、昨今の風潮からしたら、これは一つのポリシーですね。
そんなポリシーが、故郷の小田原で、今に頑張っていることを知って、
どこからともなく、ほほえましく感じます。
会報の最新号は278号だそうですが、
これまで、どのような探究をされてこられたのか。
これは、全国の歴史ファンが、注目してしかるべき努力の積み重ねですね。
さすがは、小田原です。
あらためて、その努力の積み重ねに認識を新たにしました。