マルクス「ヘーゲル弁証法批判」の学習24
主題は、ヘーゲル弁証法の「疎外のなかにある肯定的契機をとらえる」ですが、
最後の部分で、問題のもっとも勘所となる個所に来ています。
国民文庫 藤野渉訳では、P231の第56文節から、P239の第68文節の終わりまでです。
ME全集 真下信一訳では、P506の第48文節から、P512の第66文節までです。
一、マルクスの弁証法観
マルクスは具体な事柄が勝負でしたから、問題の抽象的な方法(唯物弁証法)については余り述べてません。
あえてあげるとすれば、
『資本論』第2版のあとがきですが、その一つかと思います。
「弁証法は、その合理的な姿態では、現存するものの肯定的理解のうちに、同時にまた、その否定、その必然的没落の理解をふくみ・・・なにものによっても威圧されることなく、その本質上批判的であり、革命的なものである」(1873年1月24日)。
いま学習している『経済学哲学手稿』ですが、これはその原点です。
それはマルクスが26歳の時のもの。この探究の成果ですが、当時のプロイセンとフランス政府によっての国外追放、「24時間以内にフランスから出て行け」とのことで、このことのとりこみによって、出版社との契約するところまで出来ていたんですが、そのドタバタです。結局、お蔵入りせざるをえなかったんですね。
これは直面する諸問題に対して抽象的な問題ですから、その後のなかで、あえてこの問題を取り上げるような機会がなかったんですね。
一つに、「もしいつかまた、そんな仕事をする暇でも出来たら、ヘーゲルが発見したが、同時に神秘化してしまったその方法における合理的なものを、印刷ボーケン二枚か三枚で、(岩波文庫で30ページくらい)、普通の人間の頭にもわかるようにしてやりたいものだが。」(1858年1月16日ころのエンゲルスへの手紙、全集29巻)。
また二つに、1868年5月9日のディーツゲンあての手紙にも、のべています。
「(『資本論』の)経済学的な重荷を首尾よくおろせたら、『弁証法』の本を書くつもりです。弁証法の正しい諸法則はすでにヘーゲルにちゃんとでています、ただし神秘的な形態で。肝心なのは、この形態をはぎ取ることです」(全集第32巻P450)
ここで述べているのは、いま私たちが学習しているところの、
ヘーゲル弁証法の「疎外のなかにある肯定的契機をとらえる」こと、まさにその問題ですね。
当時、マルクス自身が刊行できたものとしては、『独仏年誌』『聖家族』『共産党宣言』のなかでふれられたことくらいしかなかったわけです。
ですから、マルクスの「弁証法を紹介したい」との思いというのは、まさにその通りだと思うんです。
二、その後の時代のなせるわざ
しかし、このマルクスの思いは、すこしはその後の歴史の中で癒されているんです。
一つは、1876年からの『反デューリング論』です。
これは、エンゲルスの著作ですが、マルクスとエンゲルスの書簡を見ると明らかですが、マルクスとよく相談して、ヘーゲル弁証法の問題点を書いているんですね。
もう一つは、1886年の『フォイエルバッハ論』です。
マルクスが1883年に死去して、その遺稿集の束のなかから、エンゲルスはお蔵入りされていた初期の草稿集を目にしたんです。それに基づき検討し直して、忙しい現代人にも理解しやすいような形にして刊行してくれたんですね。
さらにもう一つ、1933年にソ連で『マルクス・エンゲルス全集』が刊行されたこと。そのなかで『経済学哲学手稿』そのものが、刊行されたということです。ですから、レーニンもこの『経済学哲学手稿』は目を通せなかったわけです。
しかしさらに日本語へ翻訳・刊行する問題があります。私などがこの『経済学哲学手稿』(『国民文庫版』)を目にすることが出来たのは、1970年頃のことでした。
三、私自身の『経済学哲学手稿』への挑戦
日本で『経済学哲学手稿』が刊行されたのは、手元にある国民文庫版ですが、その第一刷は、1963年3月15日となっています。私が手にしたのは、刊行されてから7年後というわけです。
その後、岩波文庫版、ME全集版と、少なくとも3種類が刊行されました。
しかし、この書が刊行されるのと、それが読まれ理解されるとのあいだには、どれだけの時間と努力が必要なのか。
これは私などの勝手な意見ですが、『資本論』もそうですが、それは天まで持ち上げられるんですが。
はたして、本当にそれをどれだけのひとが、真摯に読む努力をし、かつ理解すべく努力しているのか。
公認的にはなっているんですが、いろいろ感想意見を目にはするんですが。
率直なところ、『あなたは、本当にそれを読んだの??』と疑問に感じる場合が、多々あるんですね。
自分勝手な解釈をもって、「私こそ真に理解したものだ」なぞと、のたまわっているのを目にします。
日本社会は、まだ討論する機会というものが少ないんです。個人の内的な努力にとどまっていることが多いと思うんです。
出版界も商売ですから、儲けにならなければ、出版されることは少ない。それはマルクスの時代とも共通です。
がしかし、現代は、戦後は民主主義的社会ですから、刊行されて議論される可能性は、大きいと思うんです。ただし、もう一つの問題は、それを受け止める衆人の側に、文化的な高揚がなければ、猫に小判となるということです。
戦後の民主憲法ですが、それを80年大切にしているものを、「大切にせよ」と言ってきた政治家が、くちをそろへて「憲法を改正して、たたかえる国家にせよ」なんて、自民党の幹部みんなが言っている事態ですから。
「なにを寝ぼけたことをいうのか、それでも政治指導者なのか」、テレビに向かって、そう言ってやります。しかし、テレビに言っても仕方がないことで、今やそこをどうするかが問題です。
まぁ、今回は、余論です。
これから、最後のマルクスの努力の圧巻の部分に入るにあたって、
その前に、気がかりな点を紹介させていただきました。