真鶴、私の故郷のみかん園の節目
それまでは畑仕事など、まったく知らなかった私ですが、
2001年から神奈川県真鶴で、みかん畑125坪の手入れをしに通うようになりました。
以来、23年間、東京・八王子と真鶴とを、みかん園の手入れで通うようになりました。
そして今回、10月1日の真鶴行きですが、
その畑というのは、自分の故郷ですから、
いまは亡き人たちの、喜怒哀楽がいっぱい想い出として残っているところですから。
「パンタレイ」(時代という、とめようとしても止められず、川は流れる)
これまで、ずーっと、さんざんに頑張ってはきたんですが。
私の心の中で、一つの決断をしました。
今日の明日は変わら無いんですが、
もちろん、これまで通りに、畑の管理は出来得るところまでは、努力を尽くすんですが。
それでも、齢74歳。東京から真鶴まで、片路2時間強の67キロの往復。
ひとには限度がある、私なりに限界があること、そのことを受け入れるということです。
このことを自己認識するということです。
もちろん、できうる限り、真鶴と早川のみかん園を、
「みかん園を再生させる会」の一員として、さらに努力は尽くすんですが。
これまでも、そこには、私の今をつくってくれた人たちへの歴史的恩義があるんです。
いくら感謝しても、しきれない大きな感謝なんですが。
しかし、それでも、ものごとには、人としては避けがたい限度があること。
はじめというのは、終わりをふくんでいること。
このことを、正面から腹に据えるということです。
もちろん、これからも、さらに時代に抗うわけですが、
そうではあっても、やはりこのことを腹に据えよと、諸般の経験が教えてくれてます。