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西條剛央のブログ:構造構成主義

西條剛央のブログ:構造構成主義

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西條剛央

西條剛央

2005/10/15
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カテゴリ:論考
「自己組織化」とは,複雑系の科学のキー概念の一つである。

 簡単にいうと,誰も上から命令したり,制御したりしていないにもかかわらず,自然に,何らかの秩序ができあがっていくことである。

たとえば,ラーメン屋さんの行列などが,そうである。

あれは,政府がトップダウンに制御して,作っているわけではない。

並んでいる人ですら,「行列を作ろう」などと思っていない。

結果として,自然に,行列になってしまっているのである。

計画都市でない限り,町並みも自己組織的に出来上がっていくだろう。一度この視点を身につけたならば,世界は自己組織化で溢れていることに気づくだろう(この概念は僕が心理学の道に進むきっかけの一つになったのだが,その話はまた後日)。


さて,以前,この「自己組織化」の視点をもとに,「机判断」という題名の日記を書いたことがある。 http://plaza.rakuten.co.jp/saijotakeo0725/diary/200507200000/

端的にいえば,自分の机はゴチャゴチャして一見無秩序にみえるが,自分にとってはとても使いやすいのだということを,「自己組織化」という概念を使って論じたものである。

これを「自己組織化整理法」と呼ぶことにする。


しかしながら,最近,僕の机回りは全然機能していない。

モノを置く場所がない。

必要なものが探せない。

やたら時間がかかる。


とはいえ,以前書いたことが「間違い」ということではない。

そのときはたしかに「本当」だったのである。

とはいえ,理論は人間の構成したものである以上,以前論じた「自己組織化整理法」よりも,最近の「使いづらい」という自分に立ち現れた現象の方を尊重しなければならない。

ということはつまり,この度の現象をも含めて説明できるように,前の日記に書いた内容(自己組織化整理法)を変更しなければならない。



それでは,今回の事態をどう考えたらよいのか?と,なんとなく考えていたら,その理由がわかった。


以前,自己組織化整理法が,機能していたときは,本のチャプターを執筆していたときであった。

つまり,質的には単一の仕事に集中していたのである。

そのような場合,必要な本や資料を手に取り,手元に積み重ねていく,という繰り返すことによって,「そのテーマを執筆している自分」にとって,適応的な環境が,自然発生的につくられていく(自己組織化する)。

それゆえ,それは他人からすると一見無秩序にみえても,自分にとってはとても機能的なものになるのである。



しかしである。



現在のように,自己組織化整理法が機能しないときがあるのも事実なのだ。

それはどういう場合かも,自己組織化理論から言い当てることができる。

結論をいえば,「異なる質の自己組織化が積み重なったために,当人にとっても秩序性のない構造になったから」ということになる。



発達研究法の章を書いている時期がある。

構造構成主義についてまとめている時期がある。

質的研究について執筆している時期がある。

書類を書いている時期がある。

授業の準備をしている時期がある。

採点をしている時期がある。

校正を直している時期がある。

エトセトラ。。。


そうすると,まったく異質の物をひっぱりだしてくることが重なり,あちこちで異なる質の自己組織化が混交することになる。

いろいろなものがとっちらかっている状態になって,手を伸ばせば届く距離に必要なものを置くことができず,また決められた場所にはそれはないため,探そうにも探せないという事態に陥るのである。


このように,以前日記に書いた「自己組織化整理法」が破綻する事態を,自己組織化の観点から言い当てることはできる。

そして,こうした考察から,なぜたまに「整理整頓」をしなければならないのかも理解することもできる。

一言でいえば,「無秩序の中の秩序」から,「ただの無秩序」になってしまったのである。

ただの無秩序では,不便でしょうがない。


こうなってしまったら,一度ある程度まとまった時間を取って整理した方が良い。

机周りを,新たな仕事に向けて再度「自己組織化」が起こるよう,一度これまでの自己組織化の過程でできた環境を,「リセット」してしまうのである。

このように,定期的に「整理整頓」するのは,新たな自己組織化が起こるアフォーダンス(行為の機会)を提供するためなのである。



長々と述べてきたが,以上の洞察に基づく「自己組織化整理法・改」を,実生活に活かすため定式化すれば,以下のようになる。

【単一の仕事をしているときは,自然な流れに任せて,必要なものを自分の傍においていくという方法を採っていくことで機能的な環境ができあがる。しかし,複数の質の異なる仕事を行っていくなかで,「なんだか不便だな」と感じたら,まとまった時間を用意して,整理整頓した方が効率がよい】


そんなの当たり前のことだと怒りだす人もいるかもしれないが,考えてみると,これはそれほど当たり前のことでもない。

僕が見てきた限りでは,きれい好きの人は,しょっちゅう整理整頓を行うことで,自己組織的に創られる環境の機能を享受していないことが多いし,また整理に時間を費やして,肝心の仕事に充分な時間を割けていないことが少なくない。


他方,僕のようにとっちらかすタイプの人は,ある時期まで,単一の仕事に従事する中で周囲の環境が自己組織化している分にはいいのだが,複数の質の仕事を行う中で,飽和点を超えると,逐一必要な資料を探すことに時間を取られ過ぎることになり,スムーズな仕事の妨げになっている。


多くは,上記のどちらかのタイプに分類されるというのが実際のところであろうから,そうした人々にとって,この【視点】は,両者の「中道」をいくために役立ちうるであろう。

「中道」を進むためには,相対する両極の「バランスを取る」必要がある。

そして,考えてみると,「バランスを取る」ということは,おおよそあらゆる事柄において,重要と言われる数少ない行為の一つである。それはまた,「バランスをとる」ことが,それほど容易ではないことを意味している。

もし,それがいつでも誰でも自然にできることであったならば,テーマや営みを超えて,それの重要性が叫ばれることはないだろう。

それゆえ,バランスを取り,中道をいくための【視点】は,意味を持つのである。

本論の「自己組織化整理法・改」もまた然りというわけである。



もちろん,こうした【視点】をもつべくもなく,ある程度自然に実行していた人もいるだろう。

しかし,このようにに改めて定式化(言語化,構造化)することによって,その【視点】を通すことで,「意識的に」より機能的な仕事環境を作りだすことが可能になると考えられる。



以上が,僕の頭の中で自己組織化した(まとまった)「自己組織化整理法・改」というアイディアである。


特許出願したいところだが,僕のアイディアの多くは,認識レベルの【視点】として働くものであり,「実在物」を生み出すような類のものではないので,そうしたお金になりそうなこととは,おおよそ縁がない。

ということで,この論考を読んでなるほどと思った方がいらっしゃいましたら,脳内にこの【視点】をインストールして,ご自由に活用していただければ幸いです。





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Last updated  2005/10/16 03:46:02 PM


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