西洋哲学を読みました 49
14世紀にそれまで強固だったカトリック教会の基盤が瓦解しはじめますが、その原因は哲学ではなく外部要因の変化です。フランスやイギリスの王国が強力になり法王の言うことを聞かなくなってきました。ルターやカルヴィンに先立ってイギリスのウィクリフが宗教改革を始めましたが、彼が法王に逆らうことができたのはイギリス国王が彼を支持したからです。ウィクリフはカトリックの神父でオックスフォード大学の有名な教授でしたが、司教の任命権は国王が持つと主張したのです。この学説にイギリス王が喜んだのも当然で、彼は逮捕されることもなく自由にイギリス中を説教して廻りました。当時のイギリス王の妻がボヘミア(チェコ)王家の出身だったので、ウィクリフはボヘミアへの布教に力を注ぎました。そしてウィクリフの弟子がヤン・フスで、彼はチェコでウィクリフを真似して宗教改革を始めました。当時のチェコはイギリスほど自立した国家でなかったので、チェコ王は法王の機嫌を取るためにフスを逮捕し焼き殺してしまいました。ヤン・フスの宗教改革は挫折しましたが、その伝統はドイツに後々まで残り(チェコは歴史的にドイツの一部です)、ルターの宗教改革となってまた表面に出てきました。ルターが宗教改革を始めても焼き殺されなかったのは、ザクセン選挙侯がドイツ皇帝や法王を向こうに廻して彼を保護したからです。宗教改革の原因の一つは国王が法王に逆らい始めたことです。裕福な俗人の知識レベルが上がってきたこともカトリックの基盤が瓦解した要因です。地理上の発見はヨーロッパ人の世界観を広げ、コペルニクスの天動説はそれまでのカトリックの宇宙観を粉砕しました。教養ある俗人たちが法王の権威を疑いだした時に、「コンスタンティヌスの寄進状」が偽造文書だということが証明されたのです。「コンスタンチヌスの寄進状」というのは、キリスト教を事実上の国教にしたローマのコンスタンチヌス皇帝が帝国を法王に寄進するという内容の文書です。歴代の法王は、この文書を自分の国王に対する権威の根拠にしていました。