西洋哲学を読みました 19
アテネを占領したスパルタ軍は、30人僭主制という一種の貴族制の傀儡政権を建てました。極端な民主制を苦々しく思っていたアテネの貴族は喜んで、昔の貴族が頑張る政治を行いました。詳細は私にはよく分からないのですが、どうやら後醍醐天皇の「建武の親政」に似ていたようです。長い間の忍従の末にやっと自分たち貴族の権力が復活したとして現実を無視して無邪気に貴族政治を行ったらしいのです。そして建武の親政と同じように短期間で反乱が起き、復古政府は瓦解しました。スパルタ占領軍も、30人僭主政府のあまりの政治的センスの無さにあきれ、民主制の復活を認めて、軍を引き上げて行きました。スパルタ軍は撤兵するに際して、30人僭主政府が行った不法行為に予め恩赦を与えていて、後から民主派が貴族派に復讐しないようにしておきました。実は30人僭主のメンバーにソクラテスの弟子が何人かいたのです。そのためにアテネの民主派は、ソクラテスが貴族制の黒幕だと思いました。ソクラテスの教えには別に貴族制を良いものとする考えなどなくソクラテス自身も貴族ではないのですが、彼の弟子には貴族が多かったのです。哲学などという金にもならないことに興味を持つのは、生活に余裕のある裕福な家のぼんぼんです。彼らの内の何人かが30人僭主制のメンバーになったというだけのことでした。こんなわけで民主派はソクラテスに復讐しようとしましたが、恩赦によって法的に彼の責任を追及することができませんでした。そこでソクラテスを、「伝統的な宗教を嘲笑し若者を堕落させた」と裁判所に訴えたのです。