藤田嗣治展―すごい見ごたえ
昨日、京都国立近代美術館で開催中の生誕120年記念「藤田嗣治展」を観た。京都では、社会人になってまもなく「フランス絵画展」を観て以来だ。 とくに絵画に対して強い興味はないし、藤田画伯についても名前を知っている程度といってよかった。テレビでの紹介番組で彼のフランスほか国際的な評価の高さを知り、その存在感の大きさに惹きつけられた。 彼は東京美術学校を卒業して1913年にフランスに渡り、モディリアニらと交流している。第一次世界大戦を経験し、その後に南北アメリカを回って一時日本に帰国して画壇活動、第二次大戦中は軍の要請に応えて従軍画家になっている。 戦後、この戦争画が画壇から糾弾を受けて、パリに戻りクリスチャンとしてフランスに骨を埋めることになる。 彼の素晴らしさは、一つの画風にこだわらず、行動の先々で新しい画風を切り拓いていることである。そのため何人か別の画家の絵を観ているかのような感じがして、すごく見ごたえがあった。 具体的には、乳白色の裸婦像、キュビズム画、暗いパリ風景画、劇画的な自画像、宗教画、鮮やかな色彩の中南米画、力強い日本人物画、沖縄画、悲惨な戦争画、動物戯画、子供の描写画、商業壁画、教会壁画など多彩な作風を物にしているのだ。 しかし、観ていてどう解釈してよいのか判らない点が多々あり、いろいろ考えさせられた。 1.小物に至るまでの細かい描写は日本画技法を取り入れた細かい筆遣いのせいであろうか?あるいは彼の性格からくる丹精さであろうか? 2.描かれている裸婦、子供等は皆口を結び、喜怒哀楽の表情を描かないのは何を意味するのか? それは観るものがそれぞれに内面の感情を感じとれば良いためなのか?例えば、一人の子供は無邪気にも見えたり、悪戯っぽいようにも見える。 3.彼の生活には猫が共に合ったことにより、猫が脇役に描か れた絵がかなりあった。観るものを厳しい現実から慰めるものがあるが、彼は猫によって何を訴えたかったのだろか?4.彼は子供のモデルはなく、心にあるものを描き出したというが、子供のいなかった彼がここまで子供にこだわったのは何故か?5.戦争画は、日本軍の討ち死にの情景によって、戦闘精神をあおろうとしたものか、逆に戦争の悲惨さを訴えることを意図したことなのか?6.代表作の「カフェにて」の中で、婦人が書きかけと思しき手紙が滲んでいるのは、涙のせいか? ダヴィンチ・コードではないがこんなに謎めいているのなら、何か藤田画伯に関する解説書を読んだほうがよいか。