いらなくなったモノ達の行く末
朝、薄手のジャケットに今年初めて袖を通したら、サイズが合わない。鏡の前で着なおしをしてみても、何故か変。どう考えても、私には大きすぎ。去年は大きい、って思わなかったになぜだ?形は気に入っているし、いまの季節にちょうどぴったりなんだけどな。何度も鏡の前に立ってみるけど、やっぱりどこかおかしい。こりゃだめだ。最近、着られなくなった服をリサイクルショップに出しています。無料で引き取りなのですが、利益は環境問題を考える団体か何かに寄付をする、というリサイクルショップです。ヤフオクで売ったりすることもできるのでしょうけれど、手間隙考えると、やっていられない。(起業塾の課題でもあるんだけどね。&「その面倒くさいをやる人が成功する」とも言われているけど、ね)ゴミ箱にぽいって捨ててしまうこともできる。でもなんかそれも気が引ける。自分は着なくなった(着られなくなった)から家に存在する意味がない。でもゴミ箱に直行は躊躇われて、ヤフオクで売るのも工程を考えるとすぐには取り掛かる気になれない。ってなわけで、リサイクルショップにお願いすることが多い昨今です。(いいタイミングでバザー品のお願いがあると、そっちに出すこともありますが)今でもものを捨てられない人だと思いますが、前はもっとひどく、「いつか着るかも」「普段着になるかも」って思って沢山沢山とってありました。着ないのにね。捨てることへの罪悪感もあったかも。子供のときから、「ものは大切に」って言われてたから(笑)でもあるとき「いらないものの置き場所にも土地代を払っているのよ」という言葉を聞き、なーるほど。目から鱗の発言でした。少しずつ少しずつ捨てることを実行していったら、徐々に罪悪感も薄くなり、近頃は「新しい洋服買ったから」「サイズが合わなくなったから」「流行じゃないから」ってどんどん家から洋服が出て行くことになっています。おかげで、クローゼットは適量を保たれていますが、究極は大原照子さんのように、とっても少ないものたちに囲まれて暮らすようになれれば、いいのに、とあふれかえるものたちに囲まれているくせに思ったりします。大原さんの生活はこの本で垣間見られます。「少ないモノでゆたかに暮らす ゆったりシンプルライフのすすめ」で、リサイクルショップに行くべく用意されていた春夏物は夜立ち寄った姉が一着一着試着をして「これいいわ~」「普段着に着られるわ」と持って帰ったのでした。かわいがって着てもらえれば、何よりです♪が、そうやって、我が家から持ち帰ったもので姉の部屋はものであふれかえっているのでありましたぁ~。