カテゴリ:経済
ワーキングプア 解決への道(6) NHKスペシャル「ワーキングプア」取材班 実は「ワーキングプア」の問題は、日本だけの問題ではない。日本よりも早く構造改革や規制緩和を推し進めた欧米の国では、すでに1980年代から健在化し、「ワーキングプア」という言葉も、その頃から使われていた。それが今、経済のグローバル化とともに、日本をはじめとする各国にも飛び火しているのだ。 今、この国がなすべきこと 特にワーキングプアの問題が起きている国に共通するのは、「市場原理主義」つまり市場にすべてをゆだねる考え方です。グローバル競争の中では、人件費の削減が下へ下へ転嫁されていくのです。リスクを社会全体で共有せず、そのツケを下にだけ負わせるシステムは、最後は行き詰まってしまいます。 ワーキングプアの人たちを、この社会の一員と考える必要があります。市場の失敗の責任は社会が担わなければなりません。政府だけでなく、非政府団体や労働組合といった責任ある主体が対策を講じなければなりません。対策としては、これまでバラバラだった福祉や教育、それに職業訓練などが、一貫性をもったプログラムになる必要があります。 この問題を放置すれば、この国は希望と活力を失った人とそうでない人の、二種類の国民で構成される国になってしまいます。重ねて言いますが、市場で解決することができない問題は、社会が解決しなければならないのです。 韓国のワーキングプアの現状は、確かに日本より深刻なのかもしれない。勤労者をとりまく状況は確かに厳しい。しかしそうした現状を打破するための手段としての労働運動や運動の主体となる労働組合に対する人々の期待は、とても大きいように感じた。まるで戦後すぐから1970年代までの日本の労働運動を彷彿させるようだ。2007年晩秋のソウルには日本からは消滅した「ある種のエネルギー」が確かにあった。 アメリカの貧富の差はものすごいですよ。都市部の非常に上品な一角のすぐ隣が、スラム街だったりします。アメリカにはセーフティネットがありません。仕事を失うと医療保険も失います。収入もなくなります。平均的なアメリカ人は貯蓄をしていませんから、クッションがないのです。つまり貧しい人は奈落の底に落ちていくしかないのです。 韓国では非正規雇用が勤労者の過半数を占め「勤労貧困層」が急増していた。しかし第1章で紹介したように、問題があるとはいえ、韓国では非正規雇用の勤労者を守るための法律がすでに成立している。 市場競争社会といえばアメリカ。医療保険制度の欠落など、国家の福祉システムは確かに劣っているのかもしれない。しかし、エーンライク氏も指摘したように、アメリカでは非営利の市民活動が極めて活発である。協会を中心とした宗教団体のチャリティ活動も大きな機能を果たしている。つまり、こうした民間の団体が、政府の機能を肩代わりしているのだ。今回アメリカを取材した記者は、「アメリカは冷たい社会だと思っていたが、そうではない側面も数多くある」と強調していた。 また第3章でみたように、イギリスは国家の威信をかけて、若者の貧困問題を解決しようとしている。 翻って日本はどうなのか。実は問題解決へ向けた取り組みが遅れているのは、日本のほうではないのか。このままでは日本のほうがより深刻になっていくのではないか。記者やディレクターの報告を聞く内に、次第にそう思うようになっていった。 日本の場合、会社に入っていれば福祉や社会保障の水準を満たすことができました。つまり、社会保障の体系を企業に任せていたのです。ところがグローバル化が進み、市場競争が激しくなる中で、会社を中心とした共同体が崩壊します。社会には企業に代わる社会保障のシステムは受け皿として用意されていないわけですから、職を失った人は裸のまま放り出されれてしまうのです。 これは日本独特の深刻な状況です。韓国では民主的な抵抗、共に抵抗していこうとする力を人々は持っていました。ところが日本ではそうした抵抗は衰退し、連帯とか共同とかが衰えていて、一人一人がばらばらになっています。社会統合というものが崩壊しているのです。これも危険です。 職のない人には新しい、次元の高い技術を習得できるような教育を社会が与えたり、地域社会が企業と連携して産業を集積し雇用の場を作り上げたりするということ。それによって日本のワーキングプアの問題を解決するという姿勢を国家が見せること。これが望ましいのです。改革、改革というのなら、これをやってほしいのです。 人々を働く場から排除しない社会を目指すべきだと思います。これまでは企業に福祉を任せてきましたが、今、社会が新しい体系を再構築しなければならないのです。この社会にまん延している新たな貧困を解決するための、新しいレジームをきちんと作る必要があります。一部の人の善意とか犠牲で解決できる問題ではありません。今こそ政府がやるべきなのです。 ワーキングプアの問題を私たちが問い続けてきたのは、それが個人の責任ではなく、社会が生んだ構造的な問題だと考えたからだ。問題解決へ向けた具体的な一歩を踏み出す覚悟を、この社会は持つべきではないか。 働くということは、単に収入を得る手段ではなく、まさに人間の尊厳に深く関わることなのだ。ワーキングプアというのはその尊厳が損なわれることなのだ。働くことの意味や価値を重んじる社会を私たちは構築できるのか。問われているのはこの社会の一員である、私たち一人一人なのだ。 つながっているすべての人にありがとうございます! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年04月23日 20時13分18秒
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