カテゴリ:精神世界
日々の暮らしを楽にする(9) 小林 正観 著 2009年3月20日 学習研究社 発行
二千五百年前、お釈迦さまがこんなことを悟り、後世に教え残してくれました。
1 人生は苦に満ちている。これを「苦諦」と言います。 2 苦の本質は執着である。これを「集諦」と言います。 3 苦から解放されるには執着を滅すればよい。これを「滅諦」と言います。 4 執着を滅する最高の訓練の場が日常生活。その中で実践を続けることが「道」、行うこと。これを「道諦」と言います。
「苦集滅道」の四つを「四諦」と呼びました。 その結果、 「悩み苦しみから解放されるよ」 とお釈迦さまは教えて下さったのです。
この本では毎日の問題をどう捉えたら楽になるかをまとめてみました。
「死」から見えてくる生き方
あの世までの構造 肉体から魂が抜けると、トンネルを抜けるそうです。そのトンネルを抜けると、林が広がっていて、そこを進んでいくと、お花畑が広がっています。そこは、雲、花などすべてが半透明に見えるそうです。
事故にあったなど、あまりに唐突すぎて、自分が死んだことに気がついていないということもあるようです。もし、近くにいる人に話しかけても何の反応も示さなかったり、コップなどをもてないようなど、物体を通り抜けるようでしたら、肉体から魂が離れた(死んだ)又は仮死状態と思ってください。あの世までの構造を知っていると、いざ自分がそうなったときに、迷わないですむかもしれません。
人生を楽しんできたか 私たちの生命・肉体は、「楽しむためにこの世に生まれてきている」という結論に至っているそうです。人生は「修業」で「乗り越えるもの」と捉えている方がたくさんいます。それは「人生は辛く悲しいもの」という考えよりは、はるかに進歩しています。しかし、修業だから我慢をして辛いことも乗り越えていくという考えも本質ではありません。実は、人生は「楽しむため=喜ばれるため」に存在するものなのです。
楽しんでいる人は、観音様の化身 観音様の生まれ変わりである私たちは、この世を楽しむために生まれてきました。世の中には、人生を楽しまないで、不平不満、愚痴、泣き言だけを言って死んでいく人もいます。それは、人生に対する見方・捉え方の問題らしいのです。
輪廻転生 右脳の45度40センチメートル上に、守護霊がいます。その方は、「私」の魂を宇宙上で一番好きだという方がついていて、それを「ついてる」といいます。私の守護霊と、あなたの守護霊がお互いに連動し共鳴共振しあいながら、お互いに良かれと思う働きかけをしている、という関係を、「つきあう」と呼んでいます。
「輪廻転生が存在すること」 「私は知らないのに、過去のことを守護霊が知っている」 「前世がこの人だった」 という三つのことが同時にわかりました。
魂の履歴 ある一つの魂は、鉱物、植物、動物、雲、人間にそれぞれ十万回ずつ生まれ変ります。魂の成長とは、自由度が増すということです。人間として十万回生まれ変ると、そのあとは肉体を持たずに、白いモヤだけになります。これを守護霊(神の最下級生)といいます。
「楽しい」という言葉は、「魂」が喜びにあふれる、という意味です。「魂がうち震えるような」体験を、「楽しい」と表現してきたようです。次の肉体に入るまでは、魂だけで過ごします。その期間は、人により二百年から三百年ほどです。
貸衣装 私たちは、肉体という「貸衣装」を着ています。人として生まれてくるときに、三つの部屋のいずれかにいざなわれて、自分で今の体「貸衣装」を選んできました。神は、肉体という「貸衣装」のレンタル会社の社長のようなものです。
体のどこかが痛んだり、不調という時には、その不調な所に文句を言うのをやめ、不調ではないところのすべてに「ありがとう」とお礼を言い、感謝することで、その一ヶ所が消えてしまうという宇宙の法則が存在します。
生まれ変りにおける現象の捉え方の違い 人間として十万回生まれ変りますが、生まれ変りの回数により、死ぬ間際に自分の人生を振り返ったときの捉え方に、いくつかの段階があります。
幼くして亡くなる子供 天使のような子供と過ごした年月は、とても温かく、楽しい日々だったのではないでしょうか。たくさんの笑顔と喜びを与えてくれた子供に対し、感謝することもできるのです。両親は、生まれる前に子供を亡くした悲しみを乗り越えて笑顔になるということを、自らに課して生まれてきました。この体験を通し、同じ悲しみをもっている人へ笑顔でアドバイスができたら、その人の悲しみを和らげ、励ますことができるでしょう。もしかすると、亡くなった子供たちは、その日がくることを天国から見守っているのかもしれません。
三日後に死ぬと言われたら この世に生まれてきたのは、「頼まれごと」をこなして「喜ばれる」ためです。目の前に現れる友人を大事にして、感謝をしながら最後まで淡々とにこやかに生きていこうと思います。
四十九日 四十九日というのは、肉体を離れた魂が、最高四十九日間、私たちが生きている三次元と、あの世(四次元)の間にある3.5次元に留まっている状態だそうです。悟っている人(この世に自分の思い入れだとか、思いをどこにも示す必要がない人)は、2,3秒であっという間に、あの世に行ってしまうようです。
二つの死 人間の死には、二種類あります。ひとつは、「肉体の死」。これは、葬式を出すものです。もう一つは、「存在の死」。その人が存在したことを、地球上のすべての人が忘れたときに、存在の死が訪れます。存在したことを誰かが覚えている間は、その人はまだ死んでいないと言ってよいのかもしれません。
自分の死についてと同様、人の死についても同じことが言えます。肉親や親しい人が亡くなったとき、その亡くなった人を本当に大切に思うのであれば、すべきことは嘆き悲しみ続けることではなく、「その人の存在を忘れないこと」です。「死」というものを考えたときに、どう生きるかが見えてくるのではないでしょうか。
つながっているすべての人にありがとうございます!
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最終更新日
2009年05月12日 20時43分42秒
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