カテゴリ:誘水日記
うちの村に95歳のおじいさんがいる。 腰が曲がって、耳も遠いのだが、 毎日畑に出ている。 血色はすごくいい。
昔の村の話を聞こうと思っているが、 「もう忘れてしもたわ」 「わしは生きとるだけやから、何にも役に立たん」 「面白い話なんか何にもない」 とはぐらかされ続けている。
改まって話を聞こうとするからダメなのだとわかった。
だから、 畑に寄って、 「どう? 今は何を作ってんの?」 と声をかけることにしている。
「大根を作っても、あんなものスーパーへ行ったら200円で買えるんや。 作るより買うた方がずっとええわ。 何のために百姓をやっとるかわからんわ。 わしは、暇やからやるけど」
「3時までな、畑で働くのは。 うちへ帰って、4時からの『水戸黄門』を見るのが楽しみなんや。 6時から晩飯を食って、 あとは寝るだけ」
「お前はええのう。まだ若いで。 わしはもうあかんわ」
たわいない世間話。
田舎の生活で、 村民の人たちとうまくなじむためには、 汗を流して働くこと。
ぼくも、 今はヤギのために、 汗をふきふき芋のツルを集めて歩いている。 芋のツルは大量に出るし、 重たい。
これまでは山へ捨てていた。 それをぼくが始末することになって、 みなさん喜んでくれる。
山梨でもそうだった。 そうやって働いていると、 評価してもらうためにやっているわけではないが、 好感をもってもらえるものだ。
95歳のおじいちゃんも、 改めて昔話を聞かせてあげようとは、 まだ思ってくれてないが、 「面白いやつやなあ」と、ぼくに興味をもってくれているのは間違いない。
彼は88歳で亡くなったぼくの父親よりも一つ年上。 父親は村のことについていろんなことを調べて知っていた。 メモ程度だが、書き残したものを読んで、 「もっと聞いておけば良かった」と思ったりもした。 しかし、後の祭りだ。
自分が生まれ育った村のこと。 何も知らないのは悔しいではないか。
残った人にいろいろ聞いて、 少しでも書き残しておけたら、 ぼくの50年間のキャリアも役に立つというものだ。
まだぼくの中には、 「50年ぶりに故郷へ帰ってきた」という力みのようなものがある。
もっとリラックスして、 肩の力が抜けたときに、 面白い話が聞けるのではと思っている。
それまで、 汗を流して、 土にまみれて、 素直に謙虚に日々を過ごして行こうと思っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024年10月29日 13時26分45秒
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