かなしみとともに生きる
あと一年の命だと思って今を生きるという話を、昨日書いた。前から思っていたわけではない。帯津先生からは、「今日が最後の日だと思って生きる」と聞かされていた。いつかそういう心境になりたいと思っていたが、ぼくには無理そうなので、一年の命ならどうだろうとひらめいて書いたところ、けっこうたくさんの反響をもらった。よく、願を叶える方法として、「一年後の自分をイメージする」というのがある。一年後、年収1億円の自分をイメージすれば、実現するよという話が流行ったことがある。イメージの大切さはわかるが、いかにも西洋的なご都合主義に感じられて、ぼくはあまり好きになれない。だけど、一年の命と考えて今を生きるというのは、日本的な武士道に通じるものがあって、ぼくは気に入っている。やっぱり「死」を意識して生きてこそ、「生」の深みが増す。今年の元旦には、能登でたくさんの人が亡くなった。お正月をお祝いしている最中のことだ。そんなことだれも予想しなかったはずだ。もうすぐ、3月11日は、あの東日本大震災から13年目の悲しい思い出の日。ぼくたち人間の歴史は、「かなしみの積み重ね」だ。これも帯津先生の言葉だが、「人間の本質はかなしみにある。私たちは、かなしみの大地に花を咲かせる存在だ。かなしみが本質だと知っていると、ちょっとやそっとでは揺らがない」明るく前向きに生きないといけないと思っている人は、ちょっとしたかなしみに、心がずたずたになってしまう。落ち込んでしまう。ごう慢にもなりやすい。だから、人はかなしみを体験して、それを受け入れながら、少しずつ少しずつ、強くなっていくのだろう。そして、やさしくなれるのだ。