娘の結婚式
3月11日。日本人として忘れてはいけない日に、次女の結婚式があった。2月4日に入籍し、札幌の親戚に集まってもらって、パークホテルで挙式と披露宴を行った。天気予報はいい方向に外れた。雨は降らず、青空が広がる暖かい一日だった。控室の窓からは中島公園が見下ろせる。前日の雨で雪もかなり解けて、セーター姿で散歩している人の姿も見られた。「おじいちゃんに見てもらいたいから」札幌で式をやった理由だ。氣恵と弘美と氣子と新郎のマサルさんと、力を合わせて準備をした。弘美の父親は90歳。20年以上、年末には、我が家と弘美の妹一家を温泉に招待してくれてきた。孫に囲まれているときのおじいちゃんは、とても幸せそうだった。去年、体調を崩して入院した。肺炎になったりして、年齢のこともあって、覚悟した時期もあった。氣恵にしてみれば、たった一人残った祖父母だ。最初は式は挙げなくていいと言っていたが、いざ入院したと聞くと、何とかして花嫁姿を見せてあげたいと思ったのだろう。病人の外出に看護師さんがサポートしてくれるというシステムがある。小笠原へ一緒にいった仲間が、そうした会社(あんしんトラベル)をやっていて、ぼくの母親を鈴鹿から山梨へ連れてくるときにもお世話になった。弘美が相談すると、すぐに動いてくれた。おかげでいい看護師さんとご縁があり、おじいちゃんは朝早くに病院を出て、車いすに乗って参列。一番前で、氣恵の花舞台を見てくれた。かなりやせてはいたが、思ったよりも元気で、弘美や氣恵とゆっくり話ができ、ご機嫌だった。20人ほどの小さな宴だったが、見知った人たちばかりということもあって、アットホームで、居心地が良かった。弘美と結婚したことで、ここにいる人たちとの縁ができて、次の世代につながっていくと思うと、ありがたくて、愛しくて、胸が熱くなってきた。ぼくとしては、とても新鮮な感覚だった。若い夫婦は、2人とも跳ねっ返りで、無難に生きていくことはできないだろうし、だからこそ、面白いことをやってくれるのではないかと期待している。彼らは、今年中には鈴鹿のぼくの実家で暮らすことになる。20軒ほどの老人ばかりの小さな村に、台風が上陸するようなものだ。どんなことが起こるのか、楽しみで仕方ない。花嫁の父として娘をエスコートし、婿にバトンタッチするしたが、それは娘を手放すことではなくて、さらなる縁の広がりによって、ぼくの可能性も広がるという意味だ。婿は、ぼくにはないものをもっている。ぼく一人ではできないことも、娘夫婦と手を組むことで、大きく動き出す。ワクワクしている。