神宮外苑を散歩しました
梅雨の晴れ間の外苑散歩ずいぶん昔、まだ若い頃にこの辺りに住んでいました。四谷の、昔で言う谷町、買い物は三丁目の丸正。朝には東宮御所の周りをジョギングするのが日課でした。そのままスニーカーで出勤してひどく怒られたことがあったっけ。東京を離れ家族を持って海の近くで暮らしてきましたが、家族の一人が難病になり慶應病院にお世話になることになりました。入院手続きもすみ、夕方の面会時間までぶらぶら散歩。外苑東通り、権田原…懐かしい気がしても映画の中を歩いているようで現実感がない。明治記念館まで外苑東通りを行き右に曲がると、いちょう並木までの道路の左にちょっとした林があります。車の音は絶えず、空気の中にも人工の音が詰まっているような空間だけどホッとする。ベンチもあり木漏れ日が風で揺れていました。コンビニで買ったサンドと飲み物でお昼をと都会の音にまみれた林の中で座っていたら、食べているサンドに蝶々が寄ってきました。口に入れているのに近づいてきて追い払ってもまたヒラヒラとサンドにとまろうとするの。テーブルの上においてあげたらくるっと巻いている口を伸ばしている。翅が少しちぎれてるけど夢中で食べている…横を見ると何羽かのスズメが首をかしげながら両足飛びで近づいてきていました。どうしてわかるんだろう…食べ物があるって。パンを千切って遠くに投げてあげるとすぐそこに飛んでいく…バードアイ。斜め前には二代目観兵榎が細いけれどスクッと立っていました。この榎の親木はここが陸軍青山練兵場であった頃、明治天皇が観兵式でおいでになるときの御座所近くにあったと言います。私が近くに住んでいた頃は樹齢200年とも言われる大木であったのですが、平成7年の台風で倒れました。今の榎はそれの自然実生木をこの場所に移植したのだそうです。受け継がれていく命、守ろうとする命…林を出て外苑内の円周道路を行くとすぐにいちょう並木です。この並木が最近剪定されたのは2015年だったでしょうか。もうたくましく葉を広げ、遠く青山通りまでの空を三角に切り取っています。振り返ると聖徳記念絵画館が見えました。噴水が出ていれば暑さも飛んで気持ちが良かったのに残念です。そうだ!絵画館の右手にはなんじゃもんじゃの木があったっけ。この頃は白い雪のような花が木を覆うように咲いて見事だったはず…そう思い出して来た道を戻りました。絵画館前の駐車場入り口を左に曲がるとその木がありました。ヒトツバタゴ、またの名をなんじゃもんじゃ。花はなく、守衛さんに聞くと5月が花の盛りだったのだそうです。これも昔のなんじゃもんじゃの木ではなく三代目だとか。絵画館を右に見ながら行くと左には麒麟(ユニコーン?)の像が左右にある掲揚台に国旗が揚がっていました。そのまま進むと御鷹の松がありました。江戸城から逃げた三代将軍家光の愛鷹「遊女」が家光が鷹狩りに出てこの場所にあった寺で休んでいる時に飛んできてとまった松とか。こんなに小さい松だったっけ…と思いながら行くとすぐに新国立競技場の建設地に突き当たりました。昔はなかったビル群の中にNTTドコモ代々木ビルが印象的に立っていました。ヒョロヒョロと高く首をもたげたクレーンがあちこちで動いています。もう3年もすればまたオリンピックがここで開幕するのですね。人間の身体能力の限界に挑戦するアスリートたち…どんな記録が出るのでしょう。人はいつまでもその限界を超えていこうと努力していくのでしょうか…なんだか冷めてしまったようにどんな記録が出ても熱狂できそうにもない自分がいました。トボトボと足取りも重くなりがちに外苑ランプを過ぎ、また病院に戻って行きます。11階のレストラン、帝国ホテルの「ザ・パーク」で食事するために向かっているなら、もっと足取りも軽やかで楽しい気分であったでしょう。主治医の先生とのお話「この病気で死ぬことは…まずありません。ですが一生治らない病気です」喜んでいいのか重く受け止めなくてはいけないのか、考えてしまいました。でも本当のことなの?自分の意識がすうっと抜け出して後ろから見つめています。発病しているという診断が下ったのですから事実と認めるほかはありません。(もしかしたら、私たちはみんな病気にかかっているんじゃないの?…「死」という病に)病気になっても健康でいても死ぬことに変わりはありません。どこかに不死の人がいて、私たちのことを「健康だって言ってもみんな死という病にかかっている」と思っているかもしれません。「そう、あの人たちはみんな死ぬ。どうやって死ぬかが違うだけ」そんな風に私たちのことを話しているのかもしれません。そうですね。けれど、どんな病にかかっていても、健康でも「死ぬ日が来るまでどう生きていくか」それを選べる私たちであることに変わりはありません。病気になってもそれで気落ちしてしまっては、生きている日々を無駄にしてしまいます。難しいことですが。話が終わって病棟のエレベーターホールからは、先ほど見たビルが夕映えの残る空に突き刺さるように浮き出ていました。必死で命をつないでいく蝶や木や他の生き物のように無心に命をつないでいこうと、自分を愛しんで生きていけたら。病を得た家族も、健康そうに見える私も、限られた命なのですから。もしかしたら、生きている時間の過ごし方を考えるようにと病が降りてきたのかもしれません。どんな病気であってもその答えが見つかったら、快癒してしまうかも…たとえ治らないにしても生きている時間は今までとは違ってくるはず。入院した家族も病と共にこれからどう生きていくのかに直面するに違いありません。今はまだ何も考えられずにいるのでしょう。けれど戸惑いや悲しみや恐れや絶望に押しつぶされることなくこれからどう一歩一歩進んでいくかを考えられる日が来ると信じています。起こることにはきっと、深い意味があるのですから。最後まで読んでいただきありがとうございました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね