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テーマ:プロ野球全般。(13397)
カテゴリ:プロ野球
重松清の「赤ヘル1975」 広島カープは親会社を持たない市民球団として創設されました。創設当初から財政難で、幾度となく球団解散の危機に見舞われ、市民の募金で急場をしのぐこともありました。そんな中で当然成績も低迷し、1950年から1974年までの25年間で3位以上になったことはたった1回しかなかったのです。 橋本学(マナブ)は東京から広島市内の中学校へ転校してきた中学1年生です。うまい話(商売)に手をだしては失敗を重ねる父親のせいで、マナブにとってこれが小学校入学以来10番目の転校でした。 北山幸男(ユキオ)は、手作りの壁新聞「赤ヘルニュース」を貼りだしています。新聞記者希望のくせに国語が苦手で誤字だらけの壁新聞ですが、カープ愛に燃えた壁新聞は校内の人気を集めていきます。 片桐康久(ヤス)は、母親が酒屋を経営しています。店は夕方から立ち飲みのカープファンで混んできます。自他共に認める野球上手ですが、母親の手伝いをするため野球部には入っていません。 小説「赤ヘル1975」(重松清:講談社2013年11月)は、3人の中学1年生が主人公です。1975年といえば原爆投下から30年目の年であり、広島カープが赤ヘルとなった年でもあります。空襲、原爆、平和運動、友情などをテーマに、広島カープが初優勝に向けて駆け上がっていく様子を描いています。 「赤ヘル1975」 監督に古葉竹識、打者として山本浩二・衣笠祥雄、投手として外木場義郎、池谷公二郎など、懐かしい選手たちの名前が出てきます。試合の様子も当時の新聞などの記録をもとに再現されています。市民の熱い盛り上がりも描写されています。広島ファンはもちろん、野球好きには見逃せない小説です。 広島カープが優勝を決めた試合は1975年10月15日の後楽園球場での巨人戦(4-0で広島の勝利)でした。そして、広島が初優勝したこの年、巨人は長島監督の1年目で最下位に沈んだのです。まだ圧倒的に巨人ファンが多かったこの時代、打倒巨人に燃えていたカープファンの熱狂的な盛り上がりが想像できます。 その後広島カープは1979、80年にリーグを2連覇しました。その後は84、86、91年にリーグ優勝しています。そのうち、79年、80年、84年には日本シリーズでも優勝しています。1970年代後半から90年にかけては広島カープの黄金時代でした。 しかし、その後がいけません。昨シーズン(2013年)、1997年以来16年ぶりにAクラスに入りました。そろそろ広島ファンがしびれを切らしています。今年は広島で優勝パレードを見たいものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014/02/16 05:02:30 PM
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