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Shige & Happy の 気まぐれ写真日記

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Shige&Happy@ Re[1]:実践しているデンタルケア(12/24) mabo400さんへ 一旦始めると、毎食後やら…

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2014/03/05
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司法権独立の祖江藤新平

 すでに江藤新平は大正4年に正4位を贈られて名誉を回復されています。しかし、教科書などでは「佐賀の乱」の首謀者として処刑された犯罪人というイメージで書かれています。

「江藤新平」
江藤新平140305
(1862年に脱藩、外には開明的だったが藩内は封建的だった佐賀藩藩士としては冒険だった~写真はWikimediaより)

 1873年、韓国を開国させる使者を送ろうという「征韓論」に敗れ下野した江藤は、佐賀に戻って士族たちの反乱の首謀者に祭りあげられます。乱が鎮圧され、鹿児島から土佐に逃亡しますが捕らえられ佐賀に送られます。当時の政権の首脳大久保利通は江藤に弁明の機会を与えず死刑を執行します。

 週刊朝日編集部編「司馬遼太郎の描く異才2」(2014年1月)で、高田屋嘉兵衛、千葉周作、江藤新平の3人がとりあげられています。江藤新平に関する部分は、江藤を主人公にした司馬遼太郎の小説「歳月」(講談社)によりつつ、編集者たちが江藤の人物像を描き出しています。

司馬遼太郎が描く異才140305

 冒頭に以下のようにあります。長いが、江藤の人物像を的確に描き出してあるので引用します。

 「歳月」(講談社文庫)の主人公、江藤新平(1834~74)は、ジェットコースターのように明治の草創期を駆け抜けた。
 肥前佐賀の貧しい武士の家に生まれ、幕末に「頭脳」で歴史に浮上する。
 廃藩置県に尽力し、文部大輔として教育制度の基礎を作り、司法卿として司法制度の確立に情熱を燃やした。
 国のグランドデザインを描ける政治家は今も昔もいない。司馬さんによれば、明治の西郷隆盛、板垣退助、大隈重信といった大物もその才能はなく、大久保利通と江藤新平だけが持っていたという。
 ただ、大久保が漸進主義だったのに対し、江藤は急進的だった。戊辰戦争のとき、江藤が板垣に対し、語った言葉が伝えられている。
「これからの日本は勝者も敗者も藩を廃止しなければならない」
 板垣はまだ土佐藩士の意識が濃厚で、殴ってやろうかと思ったという。

 政府の中で薩長の専横を追求した江藤。佐賀県人から見たら、「佐賀の乱」ではなくて「佐賀戦争」と呼ぶべきだという声もあります。西郷隆盛の反乱は「西南戦争」です。江藤新平や島義勇の闘いも「佐賀戦争」という言葉で考える視点も必要になると思います。

 江藤の逃避行は松本清張の短編「梟(きょう)示抄」(新潮文庫「西郷札」所収)でも描かれています。梟とは「さらしくび」という意味があります。この小説での松本清張の視点には、薩長の藩閥と戦った江藤の末路に対するあたたかいものを感じます。

 今年2014年は江藤新平の生誕から180年、没後140年です。






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Last updated  2014/03/12 10:42:41 PM
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