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テーマ:中学校社会科(59)
カテゴリ:教育全般と社会科教育
司法権独立の祖江藤新平 すでに江藤新平は大正4年に正4位を贈られて名誉を回復されています。しかし、教科書などでは「佐賀の乱」の首謀者として処刑された犯罪人というイメージで書かれています。 「江藤新平」 1873年、韓国を開国させる使者を送ろうという「征韓論」に敗れ下野した江藤は、佐賀に戻って士族たちの反乱の首謀者に祭りあげられます。乱が鎮圧され、鹿児島から土佐に逃亡しますが捕らえられ佐賀に送られます。当時の政権の首脳大久保利通は江藤に弁明の機会を与えず死刑を執行します。 週刊朝日編集部編「司馬遼太郎の描く異才2」(2014年1月)で、高田屋嘉兵衛、千葉周作、江藤新平の3人がとりあげられています。江藤新平に関する部分は、江藤を主人公にした司馬遼太郎の小説「歳月」(講談社)によりつつ、編集者たちが江藤の人物像を描き出しています。 冒頭に以下のようにあります。長いが、江藤の人物像を的確に描き出してあるので引用します。 「歳月」(講談社文庫)の主人公、江藤新平(1834~74)は、ジェットコースターのように明治の草創期を駆け抜けた。 政府の中で薩長の専横を追求した江藤。佐賀県人から見たら、「佐賀の乱」ではなくて「佐賀戦争」と呼ぶべきだという声もあります。西郷隆盛の反乱は「西南戦争」です。江藤新平や島義勇の闘いも「佐賀戦争」という言葉で考える視点も必要になると思います。 江藤の逃避行は松本清張の短編「梟(きょう)示抄」(新潮文庫「西郷札」所収)でも描かれています。梟とは「さらしくび」という意味があります。この小説での松本清張の視点には、薩長の藩閥と戦った江藤の末路に対するあたたかいものを感じます。 今年2014年は江藤新平の生誕から180年、没後140年です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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