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Shige & Happy の 気まぐれ写真日記

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Shige&Happy@ Re[1]:実践しているデンタルケア(12/24) mabo400さんへ 一旦始めると、毎食後やら…

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2018/03/08
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​​ ​​中国・四国ツーリング(その4)~4日目​​​​

​​1972年10月15日(日)~4日目(大山町~蒜山高原~岡山~倉敷~下津井)​​​

​ 6時30分起床。早く寝るせいか目覚めが実に気持ちいい。ここは鳥取県西伯郡大山町、冬はスキー場としてにぎわう所である。顔を洗う水の冷たさ! 標高760mの大山寺部落の朝は冷え冷えとしている。ユースホステルにはすでに暖房が入っている。大山のユースには山男が多い。今日は日曜、泊まりがけで登りに来た人が多いのだろう。そのせいか、なんとなくユース全体が荒々しい感じがする。山男たちの朝は早い。8時に出た私が最後のホステラーであった。
  
  大山は標高1700m余、中国地方随一の秀峰である。準備もしていなかったし、時間的な余裕もなかったので登らなかったが、その男性的な姿にすっかり魅せられてしまった。天気が良いせいか、険しい稜線がくっきりと秋空に映え、目をこらすと、頂上を縦走する登山者の列がかすかに見える。バイクを止めて西のほうを見ると、昨日走った弓ヶ浜が美しい曲線を描いて中海と美保湾を隔てている。その向こうに穏やかに広がる日本海もこれで見納めだ。今日の予定は中国山地を横断して南下、勝山を経て倉敷までの約220kmである。

「大山(左)と蒜山(ひるぜん)高原」

(中国山地も地図で見るよりも山が深い。天気が良く、一気に中国地方を縦断した。)​

  立派に舗装された大山環状道路を走り、蒜山(ひるぜん)高原に入ったのが9時30 分、すでにここは岡山県である。広々とした野原に牛が放牧してある。夏は避暑地としてにぎわう所らしく、別荘、レストハウスの類がたくさん立っている。勝山町、旭町を通って岡山県の中央部を旭川の流れに沿って一路南下、岡山市に着いたのが12 時40分であった。

 岡山城跡で休憩。岡山城は別名烏城、戦災で焼失し、現在の天守閣はその後再建されたもの。旭川をはさんで向こう側の後楽園は岡山藩主池田綱政の築いた庭園で日本三名園の一つという。庭園にはあまり興味がないし、こういうものは一人で見てもつまらないので素通りして倉敷に向かう。

 倉敷まで約20キロ、国道2号線を走る。沿線は水田が宅地や店舗、工場用の敷地に造成されているところが多い。特に、自動車関係の会社、工場が軒なみに続いている。通行車両はかなり多い。大型トレーラーの後について走ったので排気ガスをたっぷり吸わせてもらいのどが痛くなった。

 倉敷は丁度阿知神社のお祭りがあっていて、さらに日曜日なので人が多い。静かなひっそりしたたたすまいを想像していたので、少々あてがはずれた。確かに古い倉造りの街並みは珍しい。喫茶店までもが古い倉造りの家だ。倉敷は江戸時代にはこの地方の物資の集散地であった。現在残っている倉屋敷はそのころの名残りである。倉敷(倉舗)は倉敷川の遡行上限で、その地名は文字から見ても一目瞭然である。新幹線が岡山まで伸びて、倉敷は京阪神からの日帰り旅行のコースとして最近注目を集めているようだ。

 大原美術館に入ったが、団体のおじさんおばさん連中で館内は一杯。人の背中越しに鑑賞していったが、子どもが駆け回ったり泣き出したりで、もうとても芸術を味わう雰囲気ではない。最後にはこっちが泣きたくなった。しばらく街をぶらつき写材をさがすが、なにせ人が多くて、とても静かな街のたたずまいを撮るどころではない。本当の倉敷を見るには、美術館や考古館、民芸館などが休館となる月曜がよいと人から聞いたのはあとの話。

「大原美術館」

(この日は予想外に外国人観光客が多かった)​

 ​倉敷の街を午後3時過ぎに出る。今日の泊まりは同じ倉敷市内だけど、瀬戸内海に突き出している下津井半島の南端にある鷲羽山ユースである。倉敷市の中心から25kmほどのところである。途中から鷲羽山スカイラインに入る。今まで走った有料道路の中で、いちばん起伏とカーブに富んでいる。オートバイ乗りにとっては楽しい道路である。昼食を食べなかったことを思い出し、途中で小休止してホットドックを食べる。​

「倉敷の蔵屋敷とユースホステルの領収書」

(美観地区としてこの蔵屋敷周辺は今も保存されている。ユースホステルの料金が安い)

 目の前を、相乗りのオートバイが何台かけたたましく走り去る。空は曇っていて眺めはあまり良くないが,視界は広い。南のほうにはもう瀬戸内海が見える。日本でも有数の石油化学コンビナート基地の水島工業地帯が眼下に広がっている。有料道路を走り終わってすぐのところにユースホステルは建っていた。ここのユースはペアレントが年寄りなせいかミーティングはない。夕食の時一同一緒に食べると、あとは三々五々テレビを見たり新聞を読んだり。

 ペアレントの話によると、水島にコンビナートができてから一帯のたこつぼ漁もすたれたとのこと。数年前までは、面白いほどとれていたのに、今ではたこつぼの底に黒い油が溜まっていることがあるという。瀬戸内海の汚染は相当に進んでいるようだ。

 昭和42年に倉敷市に合併するまではこのあたりは児島市といって、学生服縫製で有名な町だったそうである。今では水島コンビナートがこの地方の産業の中核である。夏頃になると東京の学生が就職の下見に訪れて、このユースに宿泊することも多いそうである。こうして、10時半ごろまでペアレントの話を聞いていた。

  天気は下り坂である。ひょっとしたら明日は雨かもしれない。どうか晴れてくれますようにと祈りつつ、4日目の夜を迎える。



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Last updated  2018/03/18 04:23:55 PM
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