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テーマ:アーカイブス(3056)
カテゴリ:アーカイブスシリーズ
1983年6月25日、対巨人12回戦 この時の監督は木葉竹識監督で、1975年途中に就任したが監督1年目にリーグ優勝した。その後、76年はリーグ3位、77年は5位、78年は3位と低迷したが、1979年には再びリーグ優勝、近鉄との日本シリーズも制覇して初めての日本一になった。翌80年もリーグを連覇して、日本シリーズでは再び近鉄を下して2度目の日本一となった。 70年後半から80年代前半にかけては広島カープの黄金時代であった。1983年、たまたま広島に所用で出かけた自分は、古くからのカープファンだったので、たまたま開催されていた対ジャイアンツ戦を、当時は原爆ドームの向かい側にあった広島市民球場で観戦した。 「広島市民球場」 この日の昼は広島市民球場で午前中に行われた2軍戦を観戦した。その後、宮島を観光してから6時20分試合開始のジャイアンツ戦を観戦した。 「今と同じように熱い声援」 その後77年には、胸文字・胸番号・背番号・アンダーシャツ・ストッキングが赤一色になった。それ以来“カープ=赤”が定着し、写真でも1塁側は赤で染まっている。 「チケット」 この日の試合は首位を独走するジャイアンツに、2位のカープが一矢報いた試合になった。この時点で首位打者だった山本浩二が19号ホームランを放ち、ジャイアンツの3失策にも助けられ4対3で勝って、ゲーム差を4.5ゲーム差にしている。 この年(1983年)、山本浩二は36本のホームランを打ち、4度目のタイトルを獲得した。しかしチームは最終的にはジャイアンツに6ゲーム差をつけられ2位に終わった。 「新聞記事」 その翌年の1984年にはリーグ優勝、日本シリーズでも阪急を下して3度目の日本一を達成した。古葉竹識監督は85年シーズンで引退したが、11年間で3度の日本一を達成した。 その後86年(監督:阿南準郎)、91年(監督:山本浩二)にもリーグ優勝した。しかし、その後は振るわず、2016年の緒方監督によるリーグ優勝はなんと25年ぶりであった。 今シーズンはセリーグは混戦模様である。カープ、ベイスターズを筆頭に戦力は拮抗している。パリーグでは久しぶりにライオンズが独走しているが、打撃は「水物」というように、今の打線好調が維持できるかがカギになるだろう。 ↓ランキングに参加しています、よかったらクリックをお願いします。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018/04/27 04:52:03 PM
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