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テーマ:学校教育について(15)
カテゴリ:アーカイブスシリーズ
歴史的な出来事に遭遇
平成20年というと、2008年である。この年の夏、沖縄で開催された研究大会に参加した。その報告を地区の校長会の会報に掲載していた。 大会前日の8月19日に沖縄入りしたが、この日の朝、那覇空港で中華航空機の炎上事故が発生した。乗客・乗員165名は機体が炎上する前に脱出して全員無事だったが、那覇空港の事故現場にはほぼ全焼したた機体が放置されたままだった。 「焼けただれた機体」 (飛行機は離着陸のときが一番危険だというが、生々しい現場だった) これが、第一の歴史的な出来事だった。第二の出来事につては帰りの那覇空港の出発ロビーでテレビを通しての間接的な目撃であった。このことについては、下記の報告分の中に書いているとおりである。 「生きる力」は「生かす力」~第58回全九中沖縄大会に参加して 〇〇〇中学牧 〇〇〇〇 大会前日の8月19日、福岡空港から離陸しようとした矢先に那覇空港で中華航空機の炎上事故が発生したということで、機内で一時間ほど待機させられた。前任校の職員旅行で訪れて以来の、5年ぶりの沖縄への旅は前途不安の中で始まった。 さて、大会1日日の全体協議の2本の提案の中の一つは、八重山地区の鳩間小中学校の〇〇〇〇校長先生の発表であった。研究主題は、「『生きる力』を育む特色ある教育課程の編成・実施であり、八重山地区のいくつかの学校の、地域の自然や人材を生かした「総合的な学習」への取り組みを中心として発表された。 石垣島を中心とする八重山地区一市(石垣市)二町(竹富町、与那国町)には小学校34校、中学校21校があるが、その3分の1の11校が小中併設校であり、その全てがへき地指定校であり、25校が5級へき地に指定されている。 鳩間小中学校の場合、30年ほど前に島の子どもがいなくなり学校は閉校状態であつたが、「学校がなくなれば島がななくなる」という危機感から施設からの里子を受けけ入れ、里子制度で学校を存続させたということである。現在の小中学校13名の児童生徒も、すべてが日本各地から集まった不登校経験者などということであった。そのため、人口70人あまりの島の住民の協力体制も絶大で、豊かな自然を生かした体験学習などの取り組みが充実していた。 その他に紹介された、船浦中、波照間中、西表小中、竹富小中の実践の紹介からも、自然と人との関わりの原点を学ばせてもらった。しかし、このようにして「生きる力」を学び、身に付けた子どもたちの将来の生活基盤はきわめて不安定である。子どもたちの多くは島を出ていく。この現実にどう向き合っていくのか。へき地の学校の抱える永久の課題であると思った。 「会報表紙」 (冊子の処分は終活の一環であるが、原稿は記録と残す意味があると思う) 2日目の分科会は第1分科会に参加した。分科会の研究主題は「『確かな学び』を推進する指導の充実」であり、基礎基本の指導のあり方について長崎県から、多様な評価方法の工夫について福岡県から、それぞれ発表された。この発表を通して、学力向上に向けた校長のリーダシップの大切さを学ばせてもらった。 学力問題に関して最近の動きを見ると、県の学習状況調査に加えて今年度から国の学力・学習状況調査が始まり、全国の小中学校は、数値目標を掲げてそれに向かって成果の上がる取り組みを求められている。各学校の数値データを非公表とするなど、最低限の配慮はされているが、数値が全て、目に見える現時点での結果が全て、という風潮に流れすぎていないかやや不安である。 私自身社会科の授業実践をしていたとき、目に見える点数を取らせることも大切だと考え、思考力や表現力の育成と平行してドリルの反復指導にも力を入れた。だから、基礎・基本の徹底や目に見える成果を出すことは当然大切なことと思う。しかし、本地域でも2年前に県立中学校が開設され、更に私立の中高一貫校の開設も噂される中で、点数中心、結果中心に傾斜していくことを危惧する。広い意味での「生きる力の育成」という大目標を忘れることのないようにしたいものである。 2日間の大会を終えて帰途につく時に、都市空港の出発ロビーのテレビで見たものは、佐賀北高校野球部の夏の甲子園全国優勝の瞬間であった。厳しい基礎トレーニングに耐えた選手たちは、グランドの中で自分たちを輝かせて「生かす」ことができた。これは、きっと社会の中で「自分を生かす」力につながるだろう。 そうだ「生きる力」は、まず「自分を生かす力」ではないだろうか。出発のときの暗い気分とは打って変わった、佐賀北高優勝の感動の余韻の中で、私はこんなことを考えていた。 「佐賀北高全国優勝の瞬間~2008年8月21日」 (出発時間の迫る中、この瞬間を見届けてぎりぎりで機中の人となった) 文中に出てくる八重山地区の学校の名前が懐かしい。退職後、石垣島に一人旅をした。竹富島や西表島にも渡ったし、日本最西端の与那国島にも渡った。観光として行く分には教育の厳しい現実を忘れていた。この会報の原稿を今見直して、へき地教育の現実を改めて思い出した。 自分も離島勤務の経験が2度ある。そのうちの一校では離島留学の制度で都会の生徒を受け入れている。県内の他の離島でも同様の取り組みが行われている。しかし、留学生たちもいつかは島を離れていく。この厳しい現実は今でも変わっていない。 ↓ランキングに参加しています。良かったらクリックをお願いします。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020/07/05 01:06:19 PM
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