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テーマ:日本史(1738)
カテゴリ:日本史・世界史
「麒麟がくる」の放映が再開される
新型コロナウィルス感染症対策で連続ドラマも撮影ができず、前に放送した分を再放送する状態が続いていた。やっと感染が少し収まってきたということで製作が始まったようである。 最近はNHKの大河ドラマでは、通説では歴史の裏街道にいて不遇をかこった人物を主人公として取り上げるようになった。これは、歴史を多面的に考えるためにはいい傾向である。 多分に歴史というのは勝者によって潤色されたものが残る。近年でも、政治や経済の分野で成功を収めた人が自伝(多くはゴーストライターの聞き書と思われる)を残す。こんなのものが一番胡散臭い。そういう意味で、今回の「麒麟がくる」は、数年前の「八重の桜」と同じように敗者を取り扱ったという点で評価できる。 「明智光秀像」 (出生地・生年不詳、1582(天正10)年7月2日没。本徳寺(大阪府岸和田市)蔵) 歴史上の敗者を描くには、資料不足が困難をもたらす。まず出生地についても複数の説がある。これは光秀自身が自分の記録を残さなかったことにもよる。有力な生地は美濃国の明智荘の明智城(現・岐阜県可児市)と言われる。少なくとも、美濃国(岐阜県南部)あたりで生まれたことは事実であるとみられている。このほかに近江国出生説もあるという。 光秀の前半生は不明な点が多い。仕えた人物も、斎藤道三・朝倉義景・細川藤孝・足利義昭・織田信長と変遷している説もあれば、足利義輝・足利義昭・織田信長の三人とする説もある。最後が織田信長だったのは間違いないことだ。 戦国の世は、下の者が上の者を倒す「下剋上」の風潮が当たり前の世界であった。実力主義の時代だったのだ。その点では、光秀は最後の「下剋上」を目指して、失敗した人物と言ってもいいかもしれない。 自分が7月から続けている「歴史」のYou Tube も、やっと28本目の動画で「戦国時代」を扱うことになった。短い時間なので、調べたことを十分に語ることはできないが、室町後期の産業の発達や戦国大名の出現を取り上げている。 「You Tube 歴史[28]」 具体的に本能寺の変や山崎の合戦などを扱う「安土桃山時代」の動画は、ヨーロッパの社会やイスラム世界の中世を取り扱った後になる。つまり、「十字軍」、「ルネサンス」、「宗教改革」、「新航路の開発」などのあとになる。 ヨーロッパやイスラム世界を語らないと、ヨーロッパ人が日本に来て鉄砲やキリスト教を伝えた背景がつかめないからである。このような経過を踏まえて世界は一体化し、日本は後期封建社会(江戸時代)に入っていくのである。 ↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020/10/18 12:07:58 PM
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