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スエズ運河での座礁事故
エジプトのスエズ運河は、1859年から1869年にかけてスエズ運河会社によって建設され、1869年11月17日に正式に開通した。開通当初は全長164キロ、深さ8メートルだったが、その後の数度にわたる拡張工事で、現在は全長193.30キロ、深さ24メートル、幅205メートルとなった。 3月23日、愛媛県の正栄汽船が所有し、台湾の会社が運航する大型のコンテナ船が座礁した。斜めに運河を塞ぎ船首は岸に突っ込んでいる。船の名前を「エバーギブン」(パナマ船籍・22万4000 t、全長400m、幅59m)という。 「座礁したコンテナ船」 (なぜこんな形で座礁したのか、理由は不明ということだった) ※NHK WEB(3/29)より 今回の事故で、世界の物流に大きな影響が出た。スエズ運河が通れないとアフリカ南端の喜望峰を回るしかないが、航路は9000キロ長くなり日数も10日ほど余分にかかる。そのため、運河付近に待機した船舶は360隻以上にのぼった。 運河の通航料はエジプト政府の重要な収入源で、スエズ運河庁によると今回の事故による損失は、1日当たりおよそ1400万ドル(15億円)余りに上るという。幸いにも事故発生から6日後の3月29日、船はやっと離礁し始めた。 「岸に突っ込んだ船首部分」 (スエズ運河は砂地を掘削した水路で、両岸は単なる砂の壁だ) ※NHK WEB(3/29)より 10年前の2011年8月16日、自分はスエズ運河を大型客船で北航した。スエズ運河は一方通行なので十隻程度が船団を組んで進み、途中、五か所ある待機場所ですれ違う。(2011年のブログではすれ違う場所は三か所と書いている) 2011年の船旅の時、我々の船は、早朝に運河南側の入口に着いたので、船団の先頭をきって進んだ。速度は12ノット(最近のネットには制限速度は8ノット、15km/hとしている記事がある)に制限されていた。進行する船の波で運河の両岸の砂地が侵食されないように制限されていたのだ。 「2011年8月16日 、スエズ運河を航行した」 (船首方向の橋は日本が建設費の60%を援助したムバラク大橋~2001年開通) 船上から眺める両岸の景色は対照的だった。左岸は緑が多くて人の生活の気配が濃厚だった。これはナイル川の賜物だろう。右岸のシナイ半島側は人家も見えたが、ほとんどが荒涼たる砂漠地帯が広がっていた。 今回の事故の損害賠償問題はどうなったのか、続報がないが、2011年の航海では「エバーギブン」のように大きなコンテナ船(世界最大級で全長400m)は見なかった。拡張工事により、大型船の航行が可能になったのだろう。 いくら情報化社会が進展しても、物の移動は鉄道、トラック、船、航空機など、アナログな方法でしか行なえない。いくら技術が進歩しても、人災や天災のほか、コンピュータの誤作動などによる事故は起こりうる。最近の、50人が死亡した台湾の鉄道事故は、トラック運転手の駐車ミスという人災である。 世界のグローバル化は人類の発展に大きな寄与をしてきた。しかし、ひとたび予期せぬ事態が起こると大きな負の影響が出る。今回のスエズ運河の座礁事故を、良き教訓としていくべきだろう。 ↓ランキングに参加しています。良かったらクリックをお願いします。 写真日記ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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