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テーマ:日本史(1738)
カテゴリ:日本史・世界史
ハーバード初の「明治維新」研究家
「ハーバード日本史教室」(佐藤智恵:中公新書ラクレ)で紹介された、ハーバード大学の日本史研究家のシリーズはしばらくお休みしていた。これまで4名の教授を紹介している。今回は5人目として、明治維新を中心に研究している名誉教授、アルバート・クレイブを紹介する。 クレイブ教授は1947年にGHQの一員として来日し、宮崎と京都に滞在している。その後、1951年から2年間は京都大学に留学し、帰国後はハーバード大学で「明治維新における長州」というテーマで博士論文を書いた。 明治維新をなぜテーマに選んだかというと、東京大学の遠山茂樹教授の「明治維新」を読んだことがきっかけだという。遠山教授はマルクス主義の立場で明治維新をとらえていて、「世界は最後には共産主義に行きつく」という立場をとっていた。戦後の日本の歴史研究はほとんどがマルクス主義の立場に立っていた。 戦後、多くの研究者は、明治維新は「絶対王政の確立」で「封建制から資本主義に移行する過程の妥協的な制度としてが絶対王政があらわれた」と考えた。さらに、「倒幕運動は、天保の改革(1841-1843)を端緒とした階級闘争だった」と考えた。 ※「 」内は「ハーバード日本史教室」からの引用 クレイブ教授はこの考え方に疑問を感じた。そこで、アメリカ人の視点から新たな史観を示したいと考えた。 「アルバート・クレイブ教授」 (教授は木戸と大久保の働きに注目している) ※「ハーバード日本史教室」から クレイブ教授のハーバードでの指導教官は、エドウィン・ライシャワー教授(1910-1990)だった。[注)1961年~1966年、駐日アメリカ合衆国大使。大使退任後はハーバード大学日本研究所所長] ただ、ライシャワー教授は明治維新の専門家ではなかったので、クレイブ教授は日本の学者から多くを学んだという。 その一人が東京大学の岡義武教授(1902-1990)だった。彼は当時としては珍しくマルクス主義者ではなかった。こうしてクレイブ教授は、「明治維新」は下級武士と農民の反乱ではなかったし階級闘争でもなかったという理解に達した。 ここで、倒幕を主導した薩摩藩と長州藩について、「ハーバード日本史教室」の著者である佐藤智恵は質問している。まずは、「なぜ薩摩藩と長州藩は明治維新の原動力となったのか」と尋ねているが、この質問への最初の回答は全くシンプルである。要約すれば「関ケ原以来の外様藩としての長年の恨み」だったという。 この回答には自分も全く同感である。自分は過去の中学校社会の歴史授業の中で、この点に触れたことは無かった。また、教科書にも書かれていなかった。江戸時代の260年という長い期間、外様として冷遇された恨みは消えなかったわけだ。また、薩摩と長州は経済力と軍事力を兼備していたことも大きかったという。 江戸時代の各大名は、参勤交代やお手伝い普請などで大きな経済的負担を負わされ、大商人から借金するほど窮乏した藩が多かった。しかし、薩摩と長州は藩政改革に成功した。長州では村田清風、薩摩では調所広郷が出て主導した。 最後に、「竜馬、西郷は『脇役』、木戸、大久保こそ、『主役』」という主張に触れておく。ドラマの主人公なら、坂本龍馬と西郷隆盛が面白いだろう。だが、彼らよりも木戸(孝允)と大久保(利通)が明治維新に果たした役割は大きかったといいう。 「岩倉遣欧使節団の大久保と木戸」 (不平等条約の改正のため1871年に派遣された。右端が大久保、左端が木戸) 1 大久保以外に西郷をうまく扱う者はいなかった。もし維新直後に西郷が 新政府と決裂していたら、明治維新はどうなったろう。 2 木戸と大久保がいなければ、薩長の協力は維持できなかった。大隈、伊藤、 井上(馨)、渋沢(栄一)は、薩摩反動派とうまくいっただろうか。 3 木戸と大久保がいなければ、征韓派が早く台頭して、朝鮮や中国と戦争に なっていた可能性がある。 以上の3点のほかに、木戸と大久保の優れている点としてクレイブ教授は二人が正直だったことをあげている。国の利益を優先し、私利私欲が無かったということだ。木戸が死んだとき財産は一銭も残っていなかったし、大久保に至っては家族が葬儀費用も支払えなかったという。 もちろん明治の元勲の多くが私財蓄積に努めたが、木戸と大久保は私利私欲とは無縁だったようだ。現代の政治家や官僚に聞かせたい話である。 ↓ランキングに参加しています。良かったらクリックをお願いします。 写真日記ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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