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テーマ:日本史(1738)
カテゴリ:日本史・世界史
「ブラタモリ」を見る
江戸城の広さは大阪城の4倍もあったという。現在皇居になっている部分は江戸城のごく一部に過ぎない。現在の千代田区の大部分が江戸城内だったのだ。 「2階建てバスから」 「江戸城をぐるりと一周するタモリと浅野アナウンサー) NHK「ブラタモリ」6/26(土)放送より 昨日(6月26日)放送された「ブラタモリ」は、江戸時代260年にわたって日本の政治の中心だった江戸城がテーマである。2回シリーズで、第1回目は2階建ての観光バスで江戸城内堀周辺をめぐった。 太田道灌による江戸城創建当時は、江戸城内郭は日比谷の入り江に面していたという。太田道灌の創建(道灌が品川から居館を江戸城に移したのは1457年とされている)当時は石垣もなく土堤によって防御されていただけだった。 「江戸城内郭図」 (この絵図(寛永期)では日比谷は旗本屋敷、大名屋敷になっている) 東側と南側は江戸川と日比谷の入江で守られていた。江戸城は武蔵野台地の先端部の舌状大地の上に築かれていた。現在桜の名所となっている千鳥ヶ淵も、家康の時代には大きな沼地で、そこを堀として残して北側の防御を固めた。 残る西側は旗本や大名屋敷にして、内郭を護らせた。江戸城は、戦国時代からの城郭建築の集大成と言われる。都心になってもその痕跡は残る。2階建てバスからの展望は他の車や建築物にさえぎられずに展望できて興味深かった。 来週放送分では、江戸城の痕跡を船で巡るという。東京は関東大震災や東京大空襲で大きな被害を受けたが、丹念に見てゆくと地形や石垣に、江戸城の痕跡が残っている。来週の放送も楽しみである。 ↓ランキングに参加しています。良かったらクリックをお願いします。 写真日記ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021/06/28 04:09:56 PM
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