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テーマ:海外旅行(7524)
カテゴリ:アーカイブスシリーズ
ロシア帝国時代の首都
2011年9月10日、フィンランド湾の最奥部にあるサンクトペテルブルグに寄港した。この地名は、ロシア帝国初代皇帝ピョートル1世(1672年~1725)に由来する。ピョートル1世はこの町の建設と並行して西欧文化の導入に努め、この町はヨーロッパの窓としての役割を果たした。 サンクトペテルブルグはロシア革命後はレニングラードと呼ばれたが、第二次大戦後に旧都市名に戻った。モスクワと並んで、ヨーロッパに対する戦略的な位置を占めているのは変わらない。 8時50分に下船したが、入国審査は厳しく、出入国係官はとても冷たく事務的だった。まあ予想していたことではあったが…。 サンクトペテルブルグでの自由行動は禁止されていたから、この町を観光するにはどれかのツアーに参加しなけばならなかった。自分は「サンクトペテルブルグ観光とエルミタージュ美術館」というツアーを選択していた。 ↓10年前の今日(9月10日)のブログ ※この日の出来事や所感は上の記事をご参照ください。 「血の上の聖教会」 (1881年に暗殺された、皇帝アレクサンドル2世を追悼する教会) 10年前のサンクトペテルブルグは、うすら寒くて人の姿が少なかった。多分今でも変わらないだろう。人口500万人を超す大都市とは思えなかった。 現在の最高権力者ウラジミール・プーチンはサンクトペテルブルグ生まれで、この都市の政治部門・保安部門の要職を経て大統領の座に就いた。この町でロシア共産党の要職を努めることは、党の中枢部への重要な階段なのだ。 プーチンは2000年に大統領になり2期勤めた。途中で8年間首相の地位に下り、ふたたび大統領となり現在に至る。反対派を弾圧・暗殺するなど、彼の政治意識は、我々の考える民主主義とはかなりかけ離れている。憲法を改正して終身大統領を目指しているというが、秘密警察部門出身という経歴も不気味である。 「マトリョーシカ」 (民主化が進まないロシアの政治を暗示しているようだ) サンクトペテルブルグは、そんなロシアの暗黒政治を思い出させるかのように冷たく寂しい街だった。10年前のこの日が土曜日だったことは勘案する必要があるとは思うが…。自由行動が禁止されたのも、不測の事態を避けるために旅行会社がとった予防措置だったのかもしれない。 ↓ランキングに参加しています。良かったらクリックをお願いします。 写真日記ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021/09/13 04:01:06 PM
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