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テーマ:日本の歴史(1071)
カテゴリ:日本史・世界史
教科書の記述は間違っていたのか
最近、中学校や高校の教科書の記述はずいぶん変わってきている。それは、新しい史料の発見が増えたことや、外国史の研究の進歩などで関連する日本史の記述が見直されているということだ。 教科書が悪いわけではない。大方の歴史学者の意見を反映して書かれるので、どうしても文部科学省の検定を経て発行され、生徒の手に届いた時点では、最新の研究成果が反映されていないこともある。 「この本が出たあたりから始まった」 (山本博文他、2013年:新潮文庫) この本の記述は、研究の進歩を反映し教科書が変ってゆくことを述べている。これまで教科書に載っていた、聖徳太子、源頼朝、足利尊氏などの肖像が本物ではないのではないかという疑念が出てきたのはこの本が出された10年前ころからである。 同じ年に出たものだが、下の音はもっと積極的に教科書の記述に一石を投じている。その内容は省略するが表紙のカバーによって類推できるだろう。 「残念ながら教科書の範囲を超えている」 (井沢元彦、2013年:PHP文庫) 帯に「本当の歴史は教科書に載っていない」とあるが、著者は作家で高校日本史の授業時間が分かっていない。高校では彼の言う「本当の歴史」まで教える時間は無い。大学の史学科に進んで研究するしかない。 確かに、彼がこの本で書いてあることには興味を惹かれる。しかし、それを高校日本史の教科書に求めるには無理がある。でも、「学校では教えてくれない」というのは、格好のセールス文句であろう。 「通説は更新される」 (河合敦、2018年:扶桑新書) 高校で27年間日本史を教えてきた著者の記述には納得されることが多い。出版年代が新しいので、教科書の記述が変わってきた経緯や、評価が逆転した人物や歴史的事象について丁寧に述べている。明治維新における「薩長史観」史観に対しても、東北諸藩にも問題があったと、多面的な視点を提供している。 最近は、教科書には載せられないブラックな歴史について書かれた本も目立つ。まず江戸時代について、「平和が続き自給自足でエコで庶民教育も浸透していた」と評価する見方が増えていた。戦後のマルクス主義的「貧農史観」の反動ともいえよう。しかし、下の本は真っ向から江戸時代の裏面史を描いている。 「江戸時代のブラックな面を紹介」 (永井義男、2019年:朝日文庫) 裏表紙に、「・・・庶民のリアルな生活を徹底的に紹介し、江戸時代を無邪気に礼讃する風潮に一石を投じる一冊」とある。確かに記述内容には同感できる。ただ、現在の基準で考えればブラックでも、時代的な限界も考慮する必要がある。 歴史事象を現代の基準で判断すれば、「残虐」とか「人権無視」になること出来事もある。しかし、江戸は世界一の大都市だったのに、他国の都市より暮らしやすかった。だから、江戸人は錦の御旗を振りかざす新政府軍を大いに憎んだ。 最後は明治維新について書かれた次の本である。これには自分も考えさせられる部分が多かった。第一自分を含めて多くが「明治維新」という言葉に洗脳されていた。「明治維新」、これは勝者である薩長の史観である。 「明治維新」とは後の学者が考えた言葉で、当時の人々は「御一新」と呼んだ。そこには朝廷への敬意は感じされる。しかし、薩長の権力を認めたわけではない。教科書には敗者の無惨な立場の大部分は書かれていない。 「消された真実とあるが…」 (森田健司、2121年:河出文庫) 新政府軍はあくまでも「朝敵」徳川慶喜の抹殺を考えていた。260余年前の関ケ原の戦いの恨みは消えていない。鳥羽・伏見の戦い後、「朝敵」となった慶喜は大阪から脱出する。 薩摩は江戸で略奪など乱暴を働き徳川との決戦をたくらむ。だが、慶喜は恭順の姿勢を変えない。彼は尊王論の中心水戸藩出身で、朝敵とされたら戦う名分がなかった。それが江戸無血開城につながり100万都市を守った 歴史的事象の「真実」を突きとめることは難しい。現在起こっている現実世界での出来事も同じだ。立場によって受け止め方が違う。結局どう解釈するかは個人に任されている。 教科書はその判断の材料として、限られたページ数で「定説」だと多くの学者が認めた内容を中心にして構成されている。そして、全てのアナログデータは発行された時点ですでに古い。それを承知で教師は教科書を使う必要がある。 ↓ランキングに参加しています。良かったらクリックをお願いします。 写真日記ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022/01/30 03:54:08 PM
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