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Shige & Happy の 気まぐれ写真日記

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Shige&Happy@ Re[1]:実践しているデンタルケア(12/24) mabo400さんへ 一旦始めると、毎食後やら…

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2022/02/03
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テーマ:日本の歴史(1071)
カテゴリ:日本史・世界史
​​​貧乏時代をあっけらかんと語る​​

 勝海舟の曽祖父は新潟の農民で視覚障がい者だったという。江戸に出て鍼(はり)で金を稼いで財を積んだ。その子の平蔵(海舟の祖父)は旗本の男谷(おたに)家を継いで武士となった。父は旗本の勝家に養子に入った勝子吉。子吉は相当な不良旗本でだった。数々の乱暴狼藉で、一時は座敷牢に入れられるほどだったという。

 子吉はその素行の悪さもあってか生涯無役だった。37歳で隠居して、麟太郎(当時15歳、後の勝海舟)へ家督を譲った。隠居後は「夢酔独言」という自叙伝を残している。その中に「けして自分のようになるな」とあるという。

 子吉の話を知ると、幕末の頃の旗本・御家人の貧窮や悪行が偲ばれる。「氷川清話」では家の困窮ぶりについて次のような話が載っている。

 「俺が子供の時には、非常に貧乏で、或る年の暮れなどには、どこにも松飾りの
​用意などしているのに、俺の家では、餅を搗く銭が無かった。」​

 この後に続けて、
 親戚から餅をやるから取りに来いと言われ、もらって帰る途中に両国橋の上で風呂敷が破れたて餅をこぼす。暗くてやっと二つ三つは拾ったという。だけど、忌々(いまいま)しく思って拾った餅を皮の中に投げ込んで帰った。(以上要約)
                           と、話を続けている。

 また次のような話も残している。
 「一両二分出して日陰町で買った一筋の帯を、三年の間、妻に締めさせたことも
 あった
よ。この頃は、おれは寒中でも稽古着と袴ばかりで、寒いなどとは決して
 言わなかった
 よ。米もむろん小買いさ。それに親は、隠居して腰ぬけであった
 から、実に困難したが
三十歳頃からは少しは楽になったよ。」

 この後に続けて、
 父が水野(老中の忠邦)から罰せられて(詳細不明)、同役に預けられた時には家をわずか四両二分で売り払った。道具屋は殿様だからこれだけで買うと恩着せがましく言った。その同役の家がが二間しかなく、狭いところで同居した。(以上要約)
                           と、話を続けている。

 道具屋の「殿様だから」という言葉から、勝家が旗本だったことがわかる。しかし、父の勝子吉は小普請組41石だったという。小普請組というのは役職が無く(無役)で、三千石以下の旗本のことだが、不行跡のために石高を減らされる者もあった。41石というのは極限状態の生活を強いられた貧窮階級といえる。

「勝海舟」

(1860年、サンフランシスコで撮影、勝家の家紋は丸に剣花菱だった)

 一両を現代の貨幣価値に換算する方法はいろいろある。例えば蕎麦一杯の値段や米の値段で比較する。一応15万円プラスマイナス3万円程度とする説が多い。四両二分は80万円程度だから江戸の武家としては最貧階級だったことがここからもわかる。

 前述したように父は三十七歳で隠居している。いくら人生五十年の時代と言っても早すぎたろう。しかし、隠居したことが自叙伝「夢酔独言」につながったのだろう。

 その「夢酔独言」の中に、麟太郎が野犬から睾丸を噛みつかれ大けがをしたことが書かれている。医者から縫ってもらい何とか助かったという。そのトラウマから、勝海舟は大人になっても犬が大嫌いというか、犬を怖がったという。

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Last updated  2022/02/20 06:24:14 PM
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