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テーマ:日本の歴史(1071)
カテゴリ:日本史・世界史
肥前名護屋城における、秀吉の私的空間
一昨日(4月2日)再び県北の肥前名護屋城に行ってみた。先月に引き続いてジンバルを使った動画撮影の練習も兼ねて行った。桜はまだ散りはじめぐらいで、石垣だけ残った名城に彩を添えていた。 「傾きかけた陽射しを受けて」 (16時30分、背景には大手門の坂道を天守台に向かって登ってゆく人) 今日は復原されている山里丸に行ってみた。現在は近くに広沢寺がある。慶長2年(1597)、豊臣秀吉が創建したと言われる。「広沢」は、秀吉の側室だった広沢局(ひろさわのつぼね)からきているという。 広沢局は松浦一の美女と言われた名護屋越前守の妹で、秀吉の名護屋城在陣(約1年2カ月)の間、秀吉に仕えたという。当時年齢は20歳だったという。寺に残る樹齢400年の大ソテツ(国の天然記念物)は、秀吉が手植えしたものという。 「山里丸に至る石垣」 (城構えの、かぎ型に曲がった石垣を登ったところに居館等があった) 山里丸は本丸の東に位置している。この地には秀吉の御殿や、能舞台、茶室、庭園などがあったという。はるばる九州に遠征してきても、風雅を嗜んだ秀吉の趣味人としての一面がわかる。今は石垣のみが発掘されて残っている。 ↓ランキングに参加しています。良かったらクリックをお願いします。 写真日記ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022/04/27 11:16:10 AM
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