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テーマ:■大阪探検■(691)
カテゴリ:国内の旅
昨日歩き疲れて
今日の帰りの便は14時の新幹線だ。疲れと足の具合から、以前にも行ったことがあるが、ともかく大阪城に行くことにした。電車で行くのもおっくうでタクシーにして「大手門に一番近い所まで」と運転手さんに告げる。 タクシー乗降場所で降り、しばらく歩くと大手門入り口に着く。大阪城と言えば豊臣秀吉を連想するが、現在残っている大阪城の遺構は、そのほとんどが豊臣家が滅びて徳川の時代になって建造されたものだ。 「大手門の前で」 (大手門のそば千貫櫓、石垣・門・櫓などの壮大さに圧倒される) 天気はこの冬一番の快晴だった。コロナも落ちついてきて、外国人の入国も先日規制が緩和されたので外国人や学生を中心に観光客が多かった。 「日航機が下降している」 (この位置関係からすると、伊丹空港に着陸するのだろう) 大手門をくぐってさらに天守閣に近づくと桜門がある。この桜門をくぐった枡形の囲いの正面にあるのが蛸石と呼ばれる大阪城最大の石である。表面積がおよそ60平方m、重量約108トンと推定されている。 「蛸(たこ)石」 (名前の由来は、左端に蛸の足のような模様があることからと言われる) 豊臣秀吉時代の大坂城は1614年の冬の陣、翌年の夏の陣で落城した。その後2代将軍徳川秀忠の時、秀吉時代の遺構に約10m盛土をして、1620年から29年にかけて多くの大名を動員して再建した。近年、秀吉時代の大阪城の遺構が発掘されている。 江戸時代には落雷による大規模な火災が相次ぎ、建造時の門や櫓は残っていない。天守閣については、戦前の1931年に市民の寄付で再建がなされ現在まで博物館として活用されている。太平洋戦争でほとんどの建造物が焼たが天守閣は無事だった。 再建天守閣だが、戦火をくぐり抜けた点では文化財的な価値も大きい。1955年には大坂城跡は国の特別史跡に指定されている。なお、同じ年に豊臣秀吉が朝鮮侵略の基地とした肥前名護屋城跡も特別史跡に指定されている。 大阪城周辺は戦後、大阪城公園として整備された。天気が良かったので足が少し痛むのを気にしながら天守閣まで登ってみた。5階まではエレベーターがあるが、最上階の8階までは階段で登るしかない。 「大坂城の航空写真」 (大坂城の規模の大きさがわかる。作成者:国土地理院、1917年撮影) 好天気で展望はなかなか良くて登った甲斐があった。そろそろ時間が気になったので、天守閣を降りて大阪城ホール方向に出たが、そこはまだ公園内でジョギングや散策を楽しむ人たちがいた。更に少し歩いてやっとタクシーを見つけた。 しばらくの時間運転手さんと話す。韓国人や中国人のマナーが良くなったなど、観光の現場の話を聞いた。確かに、最近の中国人や韓国人は大声でしゃべらない。列にちゃんと並ぶ。ゴミを捨てない。10年ほど前からすると画期的な変化である。 そのほか気づいたことだが、西洋人の姿が増えたようだ。場所が大坂城だったからかもしれないが、ヨーロッパ人にとって城(キャッスル)というのは、日本でも必ず訪ねたい場所のようである。逆に自分がヨーロッパ旅行をしたときは、ツアーなどのコースには必ず古い城や宮殿や教会が入っていた。 帰りは「さくら」で、車内販売もあったがお土産に買った「みたらし団子」を昼食代わりに食べて過ごす。最後尾の自由席は上がりよりも席は埋まっていたが、まだまだ最盛期の観光シーズンの状況には遠かった。これからコロナの状況次第では、土日の新幹線はだんだん混んでくるだろう。 博多駅から地下鉄に乗って日が落ちかけた18時ごろに帰宅した。久し振りにあって語り合い、たがいに歳はとっても人柄や行動は変わっていない。何やらおかしくもあり面白くもあった。次回は「来年にでも…」という話したあるので楽しみだ。 ↓ランキングに参加しています。応援のクリックをお願いします。 写真日記ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023/02/16 08:21:29 PM
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