沖縄県、宮古島へ(2)…(3/18)
ゆったりと一回りドライブ ホテルはもちろん、宮古島の主な観光スポットの駐車場に停まっている車の大半が「わ」ナンバーのレンタカーである。2日目の今日は、レンタカーで反時計回りに一周することにした。 まず最初にホテルのある与那覇前浜ビーチから見えていた来間島(くりましま)に向かった。1995に完成した来間大橋は全長が1,690mもある農道橋である。この橋の長さと比べると島はとても小さく周囲は9kmほどだ。橋を渡って5,6分も走れば島を横断して反対側の海岸に出た。 集落に観光客向けのカフェもあるが、オフシーズンの今は多くが開店休業状態のようだ。最高標高地点でも約40mの平らな島の大部分がサトウキビ畑で、残りは宮古牛の牧草地のようだ。「来間大橋」(高台にある展望台より見た来間大橋と宮古島、透き通った青い海が印象的だ) 来間大橋を渡って東に10分も走ると「うえのドイツ文化村」がある。サトウキビ畑を抜け海岸部に出ると突然洋館と中世ヨーロッパの城が見えてくる。この唐突さはなんとも不自然だが、立派な城門を模した入場口には「入園は無料です」という表示がある。「ドイツ文化村のシンボル」(ライン河畔に唯一昔のままの姿で残っている「マルクスブルグ城」を模したという) この「うえのドイツ文化村」は、1873年(明治6)年に沖合で座礁したドイツ商船「R.J.ロベルトソン号」の遭難者8人を島民が救助したことにちなみ旧上野村によって1996年に開園された。2,000年7月、当時のドイツ首相シュレーダーが来島して島全体で大歓迎したという。 マルクスブルグ城を模した城は「博愛館」と名付けられ、中世ドイツの生活文化を紹介する品々が展示されていた。しかし、一番印象的だったのは1階の正面に展示してあったものだ。「ベルリンの壁」(落書きされている西ベルリン側(左)と東ベルリン側(右)、壊されず保存されていたものを運んだという) ベルリンの壁崩壊の翌年(1990年)の東西ドイツ統一直後にベルリンを訪れたことがあるが、まさかベルリンの壁に宮古島で再会するとは思わなかった。壁の崩壊が「博愛」に通じるシンボルだとして、旧上野村が1枚200万円で購入したという。当時の東西ベルリンの写真なども展示されていた。 「うえのドイツ文化村」を出てしばらく走って海の見えるカフェで昼食をとり、平安名崎(へんなざき)に向かう。島の南東部に突き出したこの岬と灯台は、その地形からみても宮古島で一番存在感のある場所だろう。灯台の最上階から眺めたらどこまでも美しい海が広がっていた。「平安崎灯台入場券」(灯台を見下ろす風景はドローンでも使わないと撮せない) 3月というのに南国ムード全開の灯台付近をしばし散策して、次の目的地の池間島に向かう。このルートは二等辺三角形の長辺の1つを北東方面に走るコースだ。できるだけ海の近くを走ったが、残念ながらあまり海は見えず、目の前に広がっていたのはサトウキビ畑だった。 池間島も小さな島で1992年に開通した全長1,425mの池間大橋で宮古島とつながっている。最近、この池間島に東日本大震災で流されたと思われる小舟が漂着したというニュースがあった。見てみたいと思ったが海岸部に出る道がよくわからず断念した。「池間島灯台」(この灯台は無人で登れなかったが、最上部についている風向計が面白かった) この小さな池間島に沖縄県最大の池間湿原がある。そのことは全然知らなかったのだが、灯台付近の道を走っている内に迷い込んだ小道の先に野鳥観察台があった。鳥の種類は少なかったが、貴重なムラサキサギの写真が撮れたことが収穫だった。 池間島から宮古島の中心市街地までは30分も走らずに着くことができた。夕陽の名所の西平安名崎はパスしてしまったので、平良港で夕陽を眺めた。「平良港の夕陽」(明日行く予定の伊良部島と伊良部大橋の向こうに陽が落ちていく) 今日の夕食は会社などのグループでにぎわっている街の居酒屋で食べた。モズク、琉球ソバを揚ものなど地元料理を食べ、ビールは沖縄限定のオリオン生ビール。 ↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村