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日本・トルコ合作「海難1890」
トルコの軍艦エルルゥール号は、5000名以上の乗組員で、遠路はるばる日本訪問の航海に旅立った。1890年(明治23年)、当時のトルコは、日本と同じように外国との友好親善関係を重視していた。そこには、強国トルコの南下政策に対抗する意味もあった。軍艦エルツゥール号の派遣は天皇に親書を奉呈するためのものだった。 「エルツゥール号」 (トルコとしては国家の威信をかけてのアジア遠征だった) ところが、東京で目的を果たして帰国する途中、和歌山沖で北上していた台風に巻き込まれ遭難する。時に1980年9月16日の夜半で、水蒸気爆発によって約600人の乗組員の大半が死亡した。 自分は、遭難現場の和歌山県串本町大島には、2012年の紀伊半島ツーリングで立ち寄った。それは奇しくも事故が発生した9月16日の前日9月15日だった。 ↓https://plaza.rakuten.co.jp/shigedoraku/diary/201209150000/ 「遭難現場」 (串本町には有名な橋杭岩があるが、大島にも隠れた岩礁が多い) 事故の生存者は急峻な崖をよじ登り助けを求めた。事故を知った島民たちは、献身的な救助活動を行ない59名が助かった。その後、新聞報道で遭難を知った国民から義援金が寄せられ、政府は世論に押されて比叡と金剛の2隻の軍艦で生存者を送り届けた。1891年1月2日、生存者は無事に母国の土を踏んだ。 自分は2011年の世界一周クルーズの時、8月21日にイスタンブールで「ボスポラス海峡ツアー」に参加した。その時、59名の生存者が上陸したという宮殿の波止場を見た。こちらが先で事故現場は、翌年の2012年になったのだが感慨深かった。 その後、1904年~5年の日露戦争で日本がロシアの南下を食い止めたこともあって、トルコの日本への友好的な世論は一層高まったという。 時は一気に下って1985年。イラン・イラク戦争でイラクのフセインはイラン上空の無差別攻撃を宣言する。退避する他国の航空機に乗れなかった日本人215人が取り残される。日本航空はパイロット組合がテヘランへの救難機派遣を拒否し、自衛隊機は国会承認なしでは飛べず、現地の日本人は戦火の中で危機に陥る。 そのような中、トルコ航空が日本人のために飛行機を飛ばせるという決断を下す。95年前のエルツゥール号事件の時の大島の島民たちや義援金を寄せた日本国民への感謝の思いが、この救援機を出すという決定ににつながったと言われる。 「トルコ航空機、1985年に実際に飛んだ機体」 (現在はイスタンブール関空間をKUSHIMOTOとペイントした機体が就航している) この95年の年月を隔てた両国民の友好を映画にしようという動きが起こった。この動きを両国政府も支援した、しかも、日本側は阿部前首相、トルコ側はエルドアン元首相(現大統領)が中心となった。このように、両国首脳が映画製作を進めるのはかつてない事だっただろう。和歌山県串本町のホームページなどにも「日本とトルコ友好の原点」と、映画「海難1890」制作の経緯などに触れている。 「海難1890」 (レンタルショップで買ったものだ、8年前の1915年に全国公開された) この「海難1890」をつい最近見た。映画になった舞台を見て映画も観たような気になっていたが、ドラマ化されたのを見ると、美談仕立てになりすぎている感もあるが、制作にあたった当事者たちにとっては、後世の子どもたちの世代にも残したいという思いだったという。それはとても大事なことだと思う。 アジアの最東端(日本)と最西端にある国(トルコ)のきづなが、1895年のエルツゥール号事件からつながっている。まさに世紀を越えて語り継がれている。このことは、とても大事にしたいものだと、映画を観て改めて思った。 ↓ランキングに参加しています。良かったらクリックをお願いします。 写真日記ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023/03/14 08:48:36 PM
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