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テーマ:人権と幸福(66)
カテゴリ:国内の旅
人権に関する県外研修視察
今日は人権問題についての研修視察で長崎市に行った。長崎は小学校や中学校の修学旅行生で賑わっていた。最初に行った平和記念像の前では、平和集会を行うために順番を待っていた学校もあったほどだ。 「平和記念像前」 (赤いブルゾンの方々がボランティアガイドの人たち) 修学旅行生を案内する多くのボランティアガイドの中でも、ベテランらしき男性が我々研修視察の一行20名余りを案内してくれた。ただ、シニア層の人が多いため、小中学生たちよりも少し短いコースを案内してくれた。 長崎には何度も来ているが、今回の視察ではこれまで来たことが無かった場所を観ることができた。その点ではとても有意義な研修になった。 「如己堂」 (永井博士が晩年、著作にいそしんだ2畳ほどの建物、奥の手前の建物) 島根県出身の永井隆は、長崎医科大学(現長崎大学医学部)で放射線医学を専攻した。しかし強力なエックス線に侵されて白血病にかかった。原爆投下では、妻を亡くし、自らも被曝しながらも、献身的に被爆者の治療に関わった。 カトリック信者だった隆は、同じ信者たちの支援を受けて、この如己堂で「長崎の鐘」や「この子を残して」などの著作活動を続けた。長崎大学医学部の教授となった永井隆は、精力的に活動し、1951年5月に亡くなった。 「浦上天主堂」 (原爆で倒壊したが、改築され今は立派な天主堂になっている) 「浦上天主堂わきの旧鐘楼」 (天主堂のわきに、原爆投下時に落下した鐘楼が遺されていた。) また、天主堂の前には、隠れキリシタンだったカトリック信者たちが座らせられて、拷問を受けたという石も展示されていた。 「本当の爆心地」 (ここも初めて来た、ここで平和集会をしている児童・生徒たちもいた) 平和記念像から南に500mの所が真の爆心地だった。無機質で簡素なデザインの記念碑が直立していて、ここで平和集会をしている学校もあった。 今日は知らない長崎を知ることができた。言葉でしか聞いたことがない場所も、実際に行ってみて確かめることが大切だと改めて思った。 ↓ランキングに参加しています。良かったら下をクリックして下さい。 写真日記ランキングお気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023/11/30 05:25:54 PM
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