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テーマ:昔の写真(15)
カテゴリ:アーカイブスシリーズ
モノクロフィルムで記録
1970年代に、当時の佐賀県東松浦郡呼子町で撮影した「呼子朝市」の様子。呼子町が大学の卒論のフィールドだったので記録として撮影したものである。 ※呼子朝市は、石川県の輪島朝市、千葉県の勝浦朝市、岐阜県の 宮川朝市に次ぐ規模と歴史を有し「日本四大朝市」とも称される。 「正月用品を並べて・・・」 (農家が手作りした「しめ縄」だろう、1973年12月の撮影と思われる) 呼子(よぶこ)町は、佐賀県の最北部に位置する。2005(平成17)年1月1日に唐津市と東松浦郡(玄海町・七山村を除く)の8市町村で新設合併して「唐津市呼子町」となった。活きイカ料理が有名で、休日には九州各地からの観光客でにぎわう。 ※七山村が1年遅れて2006年に唐津市に合併した。 「主な商品は、海産物と農産物」 (今現在の呼子朝市は、この写真よりずいぶん寂しくなった) 現在は出店者も減少し、お客さんも観光客がメインである。呼子は玄界灘に接して漁業が盛んで、商店街もこの地域(東松浦半島)で一番賑やかだった。だから、朝市は自然に発生したと思われる。朝市出店者が一番多かったのは2000年の170人だったといわれ、現在は高齢化と過疎化でさびしくなった。 「生活に欠かせなかった朝市」 (海の物と岡の物の交換の場で、生活に不可欠な朝市だった) この写真の人たちは既に故人だと思われるが、笑い顔が聞こえてきそうなほどに笑顔で写っておられる。残念だが肖像権保護のためにモザイクをかけている。呼子朝市の特徴は出店者が女性ばかりだったということだ。 「物々交換が起源だったろう」 (新鮮な魚や貝などと、採りたての野菜や果実が並んでいた) 農家のおばさんは売り上げたお金で魚や貝類を買って帰り、漁師のおかみさんは、野菜や果物などを買って帰っていた。 半世紀前の呼子は、東松浦半島と、5つの離島の経済的な中心だった。離島航路は呼子港を発着点としていた。そのことから、卒論では周辺地域における呼子の経済的な役割について検証しようと試みたものである。 卒論は不十分だったが、朝市の様子を撮影した8mmフィルムを卒論発表会で上映したら、「動画を使って発表した者は初めてだ」と教授たちが驚いていた。そのフィルムが現在行方不明である。半世紀前の朝市を記録したフィルムは貴重だ。いつか出てきたら、デジタル化して遺したい。 ↓ランキングに参加しています。良かったら下をクリックして下さい。 写真日記ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024/07/01 11:37:31 AM
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