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1950年代から半世紀もの年月ヘリコプターから地上に絵具を炸裂させる絵画など独自のアクション・ペインティング&パフォーマンスを繰り広げてきた嶋本昭三。
齢77を迎えた2005年、初夏およそ100人のアーティストを率いて敢行されたイタリア関連アート・プロジェクトの旅、その記録- ~嶋本、「第二の故郷」への旅~ 嶋本昭三という男をご存知だろうか? いささか皮肉なことがもしれないが、おそらく、外国人のアート愛好家は、年若い日本の同胞に負けないほど、この男の<過去>と<今>に親しむチャンスを得ていた、といえるかもしれない。 1928年に大阪に生まれ、54年に芦屋で吉原治良らとともに「具体美術協会」を設立したときから、彼の芸術の冒険が始まる。 56年、瓶詰めした絵具を巨大なキャンパスの上の石に向かって投げたり、手製の大砲に絵具を充填し空中のシートめがけ発射させたりして描く、独自のアクション・ペインティングを開始。 赤や黄色に緑に青、強烈な原色の絵具が炸裂する抽象画だ。 具体解散後の75年には、「国際AU現代美術(”Artists Union"の略。後に"Art-Unidentified"と改称)」の結成に参加、翌年よりグループを主宰し、言葉によるメッセージを交換する「メール・アート」を中心に、80か国の芸術家たちのネットワークをつくりあげ、以来30年近くたった今日も、参加者は250人を超える。 また、87年にはアメリカの街角や少年院を回り、剃頭した頭にメッセージを書いてもらう「ヘッド・アート」を行ったり、2000年大晦日の夜にはミレニアムを祝って、宝塚市でクレーンから、絵具入りの「LOCOコップ」を25平方メートルのキャンパスに向かって投下したりもした。 →次回に続く アンドレア・マルデガン=文 「美術手帳」9月号より お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.08.22 22:00:20
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