|
テーマ:暮らしを楽しむ(387435)
カテゴリ:エッセイ
関西女子美術短大の教授をしていたある日、ぼくのところに一人の卒業生が訪ねてきた。
話聞いてみると、卒業を機に東京に出て行きたいという。 ついてはお金がないので6万円貸して欲しいというのだ。 約25年前の話である。 ぼくは、そうかと言ってお金を貸したらしい。 断っておくが、僕にとっては25年前も今も、6万円といえば大金である。 あのときなぜ何の条件もつけず、一言の説教も垂れず、教え子に「はいそうですか」と言ってお金を貸したのだろう。 「お前に何か貸さねばならぬような弱みがあったのだろう」と言う人もいるが、そんなことはない。 彼女は初めて訪ねて来たのである。 美人であったことは確かだが、とにかく何も言わずに貸したのだった。 それから歳月が流れ、ぼくはそのことをすっかり忘れていた。 そんなある日、一冊の本と共に6万円が送られてきた。 本のタイトルは『つめたい彼女のつめたい悩み』(集英社)、著者は冨士本由紀さん。 お金を貸した本人である。 出世払いと言う言葉があるが、なんと彼女は文筆家となって”小説すばる文学賞”を獲得し、時代の寵児になっていたのである。 ぼくは感動してしまった。とてもうれしかった。 すぐに手紙を出し、何回かやりとりを交わすうち、ぼくはすっかり彼女のファンになってしまった。 冷静に考えてみれば、貸したお金が返ってきただけのことである。 なぜこんなにうれしいのだろう。 何かドラマの主人公になったような気持ちだった。 あれこれ考えをめぐらせていると、空想と現実がごっちゃになってきた。 ぼくは思い切って、ドラマの主人公になることを心に決めた。 そうすると、そこからまた夢が広がる。 ぼくは冨士本さんの迷惑もかえりみず、その後も手紙を書き続けた。 しばらくして、東京の目黒区美術館で「ライトアップ1953年」というタイトルの展示会が開催された。 その当時若手アーティストだった作家たちの展覧会である。 そこでぼくの大きな作品も3点陳列されることになった。 そして会期中、作品の前で感激の再開とあいなった。 冨士本さんはあいかわらず美しかったが、20数年の風雪は少女に風格を与えていた。 ぼくは思わず大手を広げて近づき、彼女を抱擁しようとした・・・が、身体をかわされた。 6万円から始まったドラマだが、ぼくは今後もこの続きを夢見ている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.11.26 00:03:53
[エッセイ] カテゴリの最新記事
|