|
カテゴリ:伝承するもの
自分の家系を知る・・・ それは2年前にふと、思い立ち 夫が亡くなり、この家のことを伝えるのは、 私と思ったことから始まりました。 夫の母は話し好き、少し尾ひれが付いている事も・・ それもまぁ~許していただき 私の夫から数えると4代前の曾おじいさんが北海道へ やって来ました。 今から100年以上前のことです。 この曾おじいさん、なかなか面白い人物で 当時の曾おじいさんに出会っていたら、私も ”大好き”になっていたでしょう。 出身地は宮城県、そこで結婚をし2人の子どもに恵まれ 嫁の曾おばあさんは跡取り娘で年の離れた弟がいて その弟が一人前になるまで曾おじいさんは その家を守っていたそうです。 弟の成長をみて、曾おじいさんは、北海道へ行こうと 決意し単身でやって来たようです。 そしてなんとか見通しがつき家族を呼び寄せたそうです。 なんでも得意な人であったようで曾おばあさんは、孫の嫁に 「おじいさんは、渡らなかったのは鍋のつる(取っ手)だけ! なんでもしたよ。」と言っていたそうです。 母が嫁いで来て、記憶しているのは、我家に腰に剣を下げた おまわりさんやら新聞記者の人たちが、曾おじいさんに 何かを書いてもらいによく来ていたそうです。 砂金掘りに始まり、昔の道庁の関係機関に勤めたことも いろいろなことをしながら最後は、夕張の地で石炭を扱う 駅や選炭場の仕事を請け負い、我家には人夫さんがわらじを 脱いでいて事故や病気で亡くなった、当時その戸籍が分から ない人夫さん3人の無縁仏があると教えられています。 ですから、今でもお仏壇にお団子やおりく膳を備える時には その無縁さんたちの分も用意します。 我家は代々信仰の深い家で、亡くなった人たちの 供養を大切にする家でもあります。 その方々の礎のうえに、今の私たちの生活が あることを子どもや孫に伝えて行こうと思います。 今、私たちは沢山の物に恵まれ暮らしていますが 本当に大切なものは、目に見えない亡くなった先祖の 人たちが何を想い、この北の大地へやって来たかに 思いを馳せ、北の大地の恵みによりいのちを繋いで来た ことを想うのです。 ” いのちのつながりに ありがとうございます ” お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年02月05日 19時35分44秒
コメント(0) | コメントを書く |