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カテゴリ:伝承するもの
引き続き、本家でのお話です。 先祖から伝えられていることを話してくださいました。 この地に住む前に三つ隔てた町の山奥に住んで いたことがあると聞いていると 多分、その後に北海道に仲間達と開拓に入ったが 失敗をし、再び宮城に戻り、今の地に入ったと言うのです。 「大変な苦労であったようだ」とここのおばあちゃんも お姑さんから聞いていると話してくれました。 お堂の中に銅鏡がありました。 それと先程の鬼子母神さまをお祀りしている事で 北海道に渡ってきた我家の曾祖父が日蓮宗を選んだわけは 母親のこりょうさんが、毎日熱心にお参りしている姿を 見ていたからでしょう。 鬼子母神は、日蓮宗で大切にお祀りし、 子供たちの守り神なのです。 この家の教えは、 「自分たちが他所から入ってきた時に 沢山の方に恩を受けたからこそ、今があるのだから 人にその恩をお返しするように」と言われていたそうです。 こりょうさんの父も娘のこりょうさんと婿とその子供たちも (夫の曾祖父がその子供に当たる) その家訓を守り地域でも信頼され、村の重職にも 就いていたそうです。 ですから、人のために資財を投じることも多く、 人のために親族にまでお金を借りたこともあったと 聞いているそうです。 そのこりょうさんの孫に当たる人も地域のまとめ役を 引き受け活躍していたのですが、 晩年、保証人になったことから 自分のすべての財産を失い、 「神さま祈りばかりしていたら、実生活が 成り立たない!」と言い、祈りをやめてしまった いきさつがあったそうです。 そこから、そのお堂に対する想いが、 徐々に薄れて行ったようです。 でも、ここのおばあちゃんも奥さんも 季節の食べ物や大切な日には、お供えをしたり 守っていてくださっています。 お堂を捨てずに守っていてくださったことに こころから感謝しました。 夫の曾祖父は、そのお堂が今もあることを 知って欲しくて私をこの地に誘ったようです。 そして村社にみんなで出掛ける事になりました。 その前に一緒に来てくれたYさんが、お仏壇に向かい こりょうさんとお話をしてみると 「ごめんなさい。ごめんなさい。 大切なことを私は伝えなかったのです。」 と謝っていると言うのです。 何か訳があるようです。 つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年11月03日 16時54分32秒
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