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カテゴリ:伝承するもの
宿へ戻り、宮城に来る直前に思いもかけずに
見つかった夫の先祖の皆さんが、今もここに住んでいて 下さったこと、そして今日お目にかかり、心通わせお話し 出来たことに感謝と感動していました。 お酒の入ったYさんの身体をかり曾祖父や そのお祖父さんが話をしてくれました。 そこから謎が解けていきました。 今日、伺った本家の人も知らないことのようです。 「 家族仲良く 助け合ってほしい どんなことがあっても家族が繋がっていれば 切り抜けられる 」 曾祖父からの言葉です。 「南部だ!・・・南部藩を脱藩した! もとは南部藩士であったが、脱藩して仙台藩で 武士を捨てて平民になった。 わしが藩を捨てたのは、百姓を苦しめていたからじゃ! 財政がひっ迫しているのに百姓からばかり米をとり 百姓が食えんようになったからじゃ! だから、小作を連れて脱藩したのじゃ! ”なんで おまえはそんなことをするんだ!” と言われたが、農民が苦しむと 家族も苦しむし 一番大事にしたい農民を生かすか、死なせるかは 自分達にかかっていた。 百姓が一生懸命 石高をあげてくれるから 生きれるんじゃ! 地位や名誉に対してばかり金を使っている 藩から追われていたから 名前を平民に変えた」 と曾祖父のお祖父さんの言葉です。 ということは、南部藩であれば武田菱です。 繋がりました! そこで先祖は、隣の仙台藩に逃れ、家紋を変え 名前も ○之助 → ○吉 に改名したのですね。 そこで北海道に渡ってきた夫の曾祖父は武田菱を 使っていたのですね。 先代のご住職さんが、「先祖は多分、武士であったと思う」と 言われていたというのが、ここではっきりしました。 何故にそのことを伝えていなかったかは、 南部藩からの追っ手がかからないように、 幼い子供たちや孫には伝えずにいて こりょうさんは、鬼子母神さまに一日一日を無事に 過ごせたことを感謝し拝んでいたのです。 そして南部から脱藩し、お百姓さんを連れて来た時に 仙台藩の皆さんに助けられ、命を繋ぐことが出来たと そこで自分の事のように 人も助け合う事を 家訓とし、家族に伝えていたのですが、 脱藩した経緯を孫達には話さなかったことで 人助けもいい加減にしたほうが好いとこりょうさんの 孫に当たる先祖が、鬼子母神さまのことを 裏切ることになってしまったようです。 このお話しは、やはりYさんが、同行してくれなければ 解明できなかったでしょう。 今年の春に「一緒に行きますよ。」と言ってくださった 意味がこういうことに繋がることになっていたと しみじみ、納得し、Yさんに感謝し、やすみました。 それから間もなく 地震 がありました。 すぐに長男のお嫁さんからメールが入り なんと!宮城県が震源地です。 龍の背中と頭の神社にごあいさつに行ったので 目覚めてくださり、身震いしたのかもしれませんね・・・? つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年11月27日 13時49分27秒
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