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カテゴリ:伝承するもの
思い出しました!! 9月26日の気になる神社での”武田菱”に出会って その二日後の朝、もうそろそろ起きようかな~~と まどろんでいる時に・・・ ”裏切り者 ”という 言葉が鮮明に浮かびました。 いったいこれはどういう意味かしら・・・?と 気になっていたのですが、ここでその意味が解明しました。 お百姓の命を助けることは、藩主に対して”裏切り者”になる 事であったのですね。 人の中には、わしを馬鹿にする者もいるが わしは、自分のしたことを馬鹿なことをしたとは思っていない 夫の曾祖父の祖父の言葉 混乱の時代、自分の行動に責任を持って先祖の人は お百姓の命を助けることを選んでいたのですね。 それが、たとえ”裏切り者”と言われても自分の意思を 貫いていたと感じます。 帰宅してから、パソコンで検索してみると 南部藩で先祖が脱藩した頃の資料を見つけました。 そこには ○南部藩、藩政の展開 元禄期以降たびたび凶作・飢饉に襲われ、 1833年(天保4年)(先祖が脱藩した頃と思われる) 大凶作による大飢饉として史上に残されています。 南部藩は水稲の北限地として不安定な生産力のもとに 厳しい年貢収奪が行われ、「民政には見るべきものがない」 と言われるほどであった。 凶作の結果、武士階級も、藩財政の窮乏を救う手段として 行われた給与の借り上げよって、ますます知行地の農民への 収奪を強め、その結果として知行地農民の知行地武士への 反抗、一揆が頻発した。 南部藩における百姓一揆は明治2年までに153件を超えていた。 その中には仙台領に逃散をはかったりする者も多かった。 と記されていました。 愛と慈悲の心をもって行動した先祖の御霊に 感謝いたします。 そして南部から逃れ、仙台に身を寄せ、周りの人々に 助けられ、救われたことをこの旅によって知りました。 人の厚情に支えられ、私たち子孫が命を繋げられたこと 心からの感謝いたします。 ” 無限大 感謝 ” お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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