|
カテゴリ:伝承するもの
今日のお話しは、空想の世界とも思われるかも
しれませんので、読まれる方にそこはお任せします。 友人が、旅のお土産に”毛利餅”を届けてくれました。 このお菓子を見た瞬間、友人は私を想い浮かべ ”買っていこう!”と感じたそうです。 というのも 先月末、夫の先祖を訪ねて宮城・岩手を 巡り、同行して下さったYさんが受けたメッセージの中に、 ” 毛利 ”という文字がありました。 出先では、解明できずに自宅へ戻ってからのテーマとなりました。 先祖の地から戻ったと同時に私は、身体に異変が起き 心と身体の休養を余儀なくさせられていました。 きっと今回の旅で先祖の地を訪れ、先祖の想いが、 ようやく日の目を見たからなのでしょう! 帰宅してから6日後、インターネットで検索すると 情報が、すぐに与えられました。 私の嫁いだこの高橋家のルーツ(降りたメッセージから)は、 ”三本の矢”で有名な毛利元就に滅ぼされていました。 そこには ”毛利元就の策に一家滅亡 ”と・・・ 地方の豪族として当時は、出雲の国の隣の安芸・石見の国に 5つの城を持っており 毛利家より勢力があったと記されています。 高橋家の武将達は、なかなか周りの勢力にとっては 手強く毛利家にとっても親戚関係ではあったが、 ”目の上のたんこぶ”のような存在であったため 元就は高橋家の中で欲深い当主の伯父に目をつけ 内部崩壊の策をたて、まんまとその策に伯父は のってしまい一族が滅びたと・・・ そこで毛利元就の教訓として 「1本ではもろい矢も束ねれば頑丈になる」 と元就は3人の息子を枕元に呼び寄せ、兄弟の結束を伝える お話しが生まれたのでしょうね。 親戚関係とは 元就の兄 興元の正室に高橋家の娘が嫁いでいます。 また遡りますが、元就の実母は元就が5歳の時に亡くなり 継母として杉大方(すぎのおおかた)が、やはり高橋家より 嫁ぎ、夫が5年後に亡くなりますが、この女性は 元就の養母として一生を過ごします。 この女性が元就に朝日を拝み、念仏信仰を教え 元就は終生、朝の念仏を欠かさなかったと記されています。 戦国時代のように政略結婚であっても 嫁いだ先の毛利家に遺された元就を大切に育てた ”杉大方”の生き方は、その家を盛り立てる 女の役目として、 たとえ自分の実家が、大切に育てた元就に 滅ばされようとも、ありのままを受け入れるしか なかったのでしょう。 時代は変わりましたが、嫁いた者として 嫁ぎ先の家を盛り立てる役が、自分の身をもって 女の大きな役目と感じます。 毛利家に滅ぼされたことも時代の流れであり その出来事を心静かに見れる今の時代だからこそ 教えてもらえたような気がします。 そんな経緯があっても子孫が、この時代に生き延びている 驚きと感謝を感じます。 そして”毛利餅”をいただきました。 ” すべてのことを ゼロに戻し 調和し 生きていることの意味を味わい とても美味しい毛利餅でした ” お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|