曾祖父の思い出話
夫の曾祖父のお話です昭和20年8月15日の玉音放送から終戦を知った曾祖父は”戦争、負けたのか~!”とひどく落胆したそうです終戦の直前に貴金属から鍋の果てまで金属や金目の物を国に供出する命令があった時のことです曾祖父は自分が砂金堀をし手にした金を杯と指輪にし持っていたのを”お国のためなら”と惜しまずに出したそうです孫の嫁に当たる母が”子や孫のために残しておいて欲しい”と頼んだのですが、”戦争に勝ったらいつでも手に入るから”と言って供出してしまい、その数日後に終戦になったのですそのひと月後の9月21日に曾祖母が亡くなり”ばあさん、亡くなったかぁ~”とポツリと言い床に伏し、その6日後に後を追うように曾祖父も亡くなったのですとても仲の良い夫婦であったのですね曾祖父は、なかなか女性にもてたようで浮いた話のひとつに夕張に来てからも故郷の宮城にいる女性から曾祖父あてに恋文と共に菓子を送って来て「羽根があったら、あなたのもとへ飛んで行きたい・・・」と書かれていたそうで、その恋文を見た曾祖母は”飛んで来れるなら来ればいい、わたしゃ美味いもの 食ってしまったほうがいい”と笑っていたそうですなかなか、度胸が座り、さばさばしている曾祖母であったと聞いています男性の習性を”仕方ないわぁね~”という視点で見ていたのでしょうか・・・?今から140年前に生まれ78歳で亡くなった曾祖父のあれこれ話ですそしてこの曾祖父が、私に毎朝お参りの際に過去帳を読み上げて欲しいと伝えてきた人です今日27日はその曾祖父の月命日でした