留学で得た財産、その一
日本にいたときに、仙台市国際交流協会が各大学で留学生交流委員を募集してた。2002年4月私はそれに応募して、採用されて、留学生交流委員の一員になった。それから私はボランティア精神への理解が深まった。留学生交流委員会を作ったのは国際交流協会に勤めているあるすばらしい日本人の女性の方だった。こういう委員会は日本には仙台市しか実行してないようだ。もっと多くの日本の方々の国際理解を深めるために、留学生という特別な存在を感じさせるために、世界を広げるために、留学生を通じてその国をみるために、留学生たちの能力をもっと生かせるために、彼女は自分のその考えを実行した。日本に来ているいろんな国の留学生を集まって、人材バンクを作って、計画を立てて、いろんなボランティア活動をこなした。2002年4月から2004年3月までの二年間、私は交流委員の一員として、違う国の留学生たちと楽しく活動をした。私たちは、ベトナム、ブラジル、モロッコ、韓国、タイ、中国、ネッパルなどなどの違う国からきた。私たちの母国語は違う言葉なのだ。私たちの生活習慣は異なった。。。けど、私たちの心は一つだった。私たちは日本語を勉強して、自分の専攻を研究するために、いろんなところからきて、日本という国で出会った。私たちは留学生バスツアーのボランティア通訳をやってた。私たちは日本の小学校、中学校を訪問して、子供たちに私たちの目にある自分の国についてしゃべった。私たちはいろんな市民センターを訪問した。日本の人々といろんなテーマについて交流した。年配の人たちと一緒に料理を作ったり、話したりした。私たちは国際交流協会の協力をもらって、映画祭や写真祭やなどなどのことをやってた。。。本当に懐かしい。。。そして、皆のことが恋しい。。。国際交流協会のおかげさまで、私はその二年間ですごく成長したような気がする。そして、すごくいい仲間が出来た。皆揃いで、いつも「将来皆でなにかをやろうね」と話し合ってた。今は日本に残った人もいるし、私みたいに自分の国に戻った人もいる。そして、離れた私たちはだんだん連絡しなくなった。でも、でも、再び彼らと会うときに、きっと笑顔は前と同じように温かくて、素敵だと信じている。仲間の1人Kさんが韓国に戻った。そちらのある大学で教えている。今年の3月に友達と一緒にソウルに遊びに行ったときに、彼に連絡した。わざわざソウルまで来てくれて、ご馳走してくれた。なんというか、そういう友達って、世界のどこで会ってもおかしくないような気がするよね。笑顔がやさしくて、温かくて、まるで兄弟みたいな感じがするよね。留学生交流委員会での経験は私の日本で得られた一つのとっても大きな財産かな!!