|
テーマ:政治について(20219)
カテゴリ:政治
安倍官房長官が言う「再チャレンジ」は違和感がある。
機会の平等=敗者にチャンスを与える と言いたいのだろうか。 「機会の平等」は「結果の平等」の反語で、セットで使わなければ意味がない。 機会の平等というのは、個々の可能性を尊重するということで、敗者にチャンスを与えるということでも勝者を擁護するということでもない。 敗者にチャンスがあるということは、勝者が敗者に転じることもあるということである。 それは市場経済における正しい経済のあり方を示唆している。 勝者が既得権益を守ろうとして、敗者に対して勝者になる道を閉ざそうと画策するようなことはあってはならない。 また、経済的に全ての人が勝者になるということは現実にはあり得ない。 社交辞令として、勝者が敗者に慰めの言葉をかけることはある。「負けるが勝ち」というような言葉と混同してはならない。 安倍氏の論理だと、反語である「結果の平等」は敗者にチャンスを与えないことになる。つまり、カースト制度などの身分制度だ。 彼はそれを望んでいるのだろうか。 つまり、二世議員として受け継いだ地位、権益を制度で守りたいと? まぁ、それはそれでそういった考え方を支持する人がいれば、主張を全うすれば潔い。 本来の結果の平等の意味は勝ち負けを作らないことである。これは、社会福祉のあり方として基本的かつ重要な考え方だ。 例えば、「全ての人が治ることを前提とした医療」。健康という結果に対する保証である。 現在の医療は、機会の平等ですらない。健康保険がきかない先進治療は、経済的に豊かなものだけが受けることができる。 社会福祉と経済を混同してはならない。 社会福祉は結果の平等、経済は機会の平等をもって対処すべし。 健康であれば、あえて制度化しなくても、何度でも人生やり直しできる。 医療における結果の平等は、経済における機会の平等でもあるのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年06月04日 21時03分38秒
コメント(0) | コメントを書く |