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テーマ:サッカーあれこれ(20135)
カテゴリ:サッカー
サッカー日本代表の某監督は、「神様」と言われている。
それは監督としてではなく、選手としてではなかろうか。 つまり、監督としては、素人の「人間」なのである。 まぁ、選手時代の彼を知っているファンにとっては、日本代表監督に就任したこと自体嬉しいことかもしれないが。 財団法人日本サッカー協会は、Jリーグを盛り上げるための話題作りとして彼を監督として起用したとしか思えない。 某監督は、テクニカルコーチとしての経験は若干あったが、監督としての経験がなかった。[追記:1999年シーズン途中からシーズン終了まで、Jリーグ某クラブチームで「総監督?」の経験有(06/06/16)] それに加えて、Jリーグの観客動員は、依然として寂しいのが現実であり、盛り上げ効果自体すら怪しい。 さて、この4年間、ずっと某監督の仕事ぶりを見てきて感じるのは、監督としての基本的な仕事ができているとは思えないということである。 選手のメンタル面の指導、コンディションの管理、明確な戦略に基づくシステムの構築及び選手の選考、戦術、試合中の指示など、すべて一国の代表監督を務める力量はないと思う。 あるのは、選手時代のカリスマ性と、見え隠れする自己保身の姿勢だけだ。 某監督が今まで「選手の自主性を尊重する」と言ってきたのは、負けたときに責任転嫁するためだったのである。 監督という仕事をなめてはいけないのである。 一方、WCグループリーグ初戦で日本が屈辱的な敗北を喫した相手国の監督は、近年優秀な結果を残している。 この差が何かというと、起用する側が監督という仕事をどれだけ理解しているか、尊重しているかということだと思う。 サッカーにおける勝敗は、監督の力量で決まると思う。 だから、勝敗の責任は監督にある。 勝てば称賛され、負ければ罵倒されるのは当たり前のことだ。 その責任を自覚していない人は、いかにカリスマ性があっても監督の資格はない。 一方、選手は常に良いプレーを心がけなければならないと思う。。 良いプレーをしたら観客に拍手され、つまらないプレーをしたらブーイングを浴びるのは当然のこと。 また、そういう環境が良質な選手を育てると思う。 某監督の力量がわかった今となっては、ドイツ大会で日本の勝利を実現することは難しいと思われるが、監督が誰であっても、選手が良いプレーをすることは可能だと思う。 それを期待したい。 財団法人日本サッカー協会は、代表監督の起用面のみならず、話題作りだけを先行させるような過ちを二度と犯さないで欲しい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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