商大の共同参画研究所の公開講座を聴きに行った。
大阪ガス(株)エネルギー・文化研究所の遠座俊明氏のお話から。
社会とのつながりと誰かのために役立てているという喜びの二つの要素と運動が、
高齢者を要介護へと向かわせない要素なのだという。
実際にどんな行動が、認知症の予防になるのかを研究したとき、最も成果をあげたのは、
人に親切にする
とてもシンプルでいつでもどこでもできること。
人って、そんなに難しい生き物でもなくて、ほんの小さな幸福感をお互いに感じ合うだけでいい。
ちなみに・・・
今、生活不活発病というのも高齢化社会の課題になっているらしい。
簡単に言えば、人の廃用性ってことになる。
使わなければ、使い物にならなくなる。
物も身体も同じだということだ。
そういえば、弱った腎臓も運動で復活することがわかってきたとかって、テレビの情報も・・・主人から
私の膝も一時は泣きたいくらいに、歩くのも困難だった。
あの頃からすれば、ずっと良くなっている。
一日中、痛みというものを感じずに過ごせたらいいなと欲も出て、
今、内腿の筋肉を強化中だ。
運動も活動も一生続けなければならないけれど、明日という日が普通にやってくるのなら、すべてが、そんなことくらい・・ってことにもなる。
”情けは人の為ならず”というのが、この講演の締めくくりの言葉で、現代的解釈としての互助=自助だ。
ところで、私は数年前までこの言葉の意味を「情けは人の為にならない。」と思っていた。
ブログ友が教えてくださって、初めて意味を理解した。
「人に対して情けを掛けておけば,巡り巡って自分に良い報いが返ってくる」が本来の意味らしい。
昔の人の日常には、当たり前のことだったのだ。
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