堀江敏幸「象の草子」ー現代語訳絵本「御伽草子」ー(講談社)
今や、押しも押されぬ大作家(?)。早稲田で教えていらっしゃるそうで、二十代で直木賞を取った朝井リョウ君のセンセイだそうですね。お書きになる作品は、どれもこれも、中年からん老年にさしかかる女性陣の絶大なる支持を得ていると、まあ、やっかみ半分、思いこんでいるだけかもしれというませんが、堀江敏幸さんという方はご存知でしょうか。
今日はその堀江敏幸さんの、これまた、女性陣がお喜びになるにちがいない「お戯れ?」、現代語訳絵本「御伽草子」と銘打ったシリーズの絵本「象の草子」(講談社)のご案内です。
このシリーズには、今は亡き橋本治さんの「はまぐりの草子」とか、奇才町田康さんの「付喪神」とか、ちょっと気になる書名も目に付くのですが、今日は堀江敏幸さんとMARUUさんのコンビの、この絵本を手に取りました。
「御伽草子」と聞きましても、かの太宰治の「カチカチ山」くらいしか思いうかんでこないという浅学ぶりで、「現代語訳」なのか、「翻案」なのかを見破る眼力があるわけではありません。
気にかかる方は絵本の末尾に原文が載せられています。それをお読みになれば確かめられますが・・・・・。
これが絵本の裏表紙です。何やら「猫」と「鼠」がにらみ合っておりますね。さて、いつ頃のことでありましたか、都で起こった「猫」族と「鼠」族の大げんかを、「象」さんが仲裁というか、解決というか、とにもかくにも、頑張った象さんのお手柄を記録したお話というわけでございます。
きびしい修行をつんで法師となった像だけが、それらのおもい文字をきざんで文書とし、のちの世にのこすことがゆるされる。ごぞんじのとおり、文書のさいごに押された印を印像といい、印像をうけるというときは、にんげんひとりひとりのなかに、わたしのことばがとくべつな転写によってはりつけられてあかしなのであります。
慌ててお間違いなさらないでくださいね。「印像」であって「印象」ではありません。普通は署名のハンコのことですが、もともとは、自然と浮かび上がってくるものであったようで、それだけでも霊験あらたかというもであったようですね。
えらく端折るようで申しわけありませんが、その後のいきさつはお読みいただくとして、堀江さんのお戯れが筆を擱くにあたって炸裂しているところをご紹介いたしましょう。 いまに伝わる猫の草子の、これがまことのすがたです。和歌をよくする公家門跡にまがりしていた、ふうがねずみが詠んだとされる腰折れのうたがあそこに引かれていたのをご記憶でしょうか。 ねずみとる猫のうしろに犬のいゐてねらふものこそねらはれにけり
じつはこれも、話がうまくおさまらなったため師の許可をえてわたしが戯れてこしらえたものなのです。
よのなかにたえてねずみのなかりせば猫のこころはのどけからまし
といった、それこそあんもらるなうたよりはよかろうとの判断でした。
あらざらん此のよのなかのおもひでにいまひとたびは猫なくもがな
とはさすがにおわらいぐさ、じつのところは、
あらざらんくものうへなるあんもらかいまひとかけといまひとかけと猫なくもがな
これが手びかえにのこされた一首であります。
これらの和歌などが、原話にあるのかないのか、定かではありませんが、ちょっとバカバカしくていいのではないでしょうか。歌中の「あんもらる」は「アンモラル」とカタカナにすればおわかりですね。ならば「あんもらか」とはなんぞやと、お気づきの方は、どうぞ本書をお手にしていただきたいと思います。
さて、ここからは、どうも純粋にお遊びというこでしょうか。
師を亡くし、自身の死期も近づいたいまとなっては、いのちありかぎりさまざまな記憶を、わかい大像たちにつたえようと思っています。しかし彼らに文字だけではつうじないようで、あのすとりいとげいじゅつぬずみの蛮久志にならった刷り絵の冊子を、ゆいごんがわりに用意しているところです。
とまあ、こんな感じで一巻のおわりとなるのでございます。空飛ぶゾウの絵など、なかなか楽しい絵本でございました。
ここまで、こんなふうに書いてきまして、いうのもなんなんでございますが、この絵本、目に困難を感じ始めた老人にはかなりな難物でございました。「絵本」としては文字が、少々、小さめ、且つ、多めなのは辛抱いたしましたが、ページ全体まっ赤な色刷りで、文字が白抜きとか、別の色抜きというパターンは、デザインの奇はよしとしましたが、ちょっと、ムカついたのでございます。
「なんで、絵本読むのに、これだけ目ェ―チカチカさせて、肩まで凝らなあかんねん!」
御本をお作りになられている方々は、まだ老眼鏡などと御縁のない方々なのでございましょうか?
ヤレヤレ・・・とほほ。
ちなみに、引用文中にある「蛮久志」はこちらをクリックしてみてください。「バンクシー」と読みます。
追記2022・05・17
学校の図書館の司書室に座っていたころ、新しく出た面白そうな本を、まあ、仕事の都合もあって、あれこれ見つけるのが楽しくて、ネットとかパンフレットとか、あれこれ探し回っていて出会った「絵本」でした。自分のためだけに「本」を探すようになってみて、新しい本に出合わなくなったことに気づきます。
自分だけの世界って、いつの間にか狭く狭くなっていくのですね。もう一度壁の向こうの広い世界を見晴らすにはどうしたらいいのでしょう。それが、最近の課題です(笑)
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