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セルバンテス「ドン・キホーテ(全6巻)」牛島信明訳(岩波文庫)
「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」という映画の感想を書いていて、こっちが長くなったので別のタイトルになりました。 セルバンテスの「ドン・キホーテ」が出版されたのは1605年なんだそうですね。それは徳川幕府の始まりとか、イギリスのエリザベス一世とかいう時代でそのす。だから、このお話は1700年代の中ごろに生まれた「忠臣蔵」より古いんです。 なんでこんなことをいっているかというと、たとえば竹田出雲の浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」が始まりだと思いますが、その「忠臣蔵」であれば、戦後だけでも映画化された回数は数えきれないですよね。最近も、見ていませんが「決算忠臣蔵」というタイトルの映画もありました。 一方、エリザベス朝といえばシェークスピアですが、ナショナルシアターライブを続けて見ていると、イギリスの現代の演劇シーンのメインにはシェイクスピア劇がデンとすわっているんだなと感じます。 じゃあ、「ドン・キホーテ」はどうなんだろうっていうのが気になるわけです。 日本語への翻訳はたくさんあります。新訳も出続けています。児童文学の全集には、多分、必ず(?)ライン・アップされています。 で、愛馬がロシナンテで、相方がサンチョ・パンサで、ドルシネア姫がヒロインだとか、風車とたたかうとか、誰でも知って(そうでもないか?)いそうですが、最後まで読んだ人はなかなか居そうにありませんね。理由は簡単です。長くて、退屈なんです。 今、「ドン・キホーテ」を読むなら、牛島信明訳の岩波文庫版が、一番お手軽だと思いますが、全6巻のお話ですね。 上に載せたのが、牛島訳岩波文庫の第1巻の表紙ですが、下に載せるのが第1巻から第6巻の表紙の挿絵ですが、本文の中でつけらているキャプションもつけてみますね。 前編第1巻 「ねえ、遍歴の騎士の旦那様、どうかわすれねえでくだせえよ・・・」(これは有名なシーンですね。サンチョが、ちょっとアブナイじーさんの家来になるんですが、一緒におバカをやるのは取引の結果なんですね。で、こういう出で立ちになるわけです。) 前編第2巻 「一頭の騾馬が死んで横たわっているのを見つけた」 (絵がシュールなのですよね。) 前編第3巻 「ふつふつと煮えたぎる瀝青の大湖が現出したかとおもうと・・・・」 後編第1巻 「もうこのときにはドン・キホーテもサンチョのかたわらでひざまづき・・・・」(ゴヤを思い出しますね。) 後編第2巻 「奥から巨大な烏や深山鳥が、群れをなしてどっと飛び出してきたので・・・」 これって、後編第1巻の場面なんですがなぜか第2巻の表紙に使われています。後編第3巻(申しわけないのですが、後編第3巻が見つからないので、写真だけね。キャプションは見つかり次第ということで、略します) 挿絵は楽しいんです。でも、どなたか最後まで読んでカンドーしたって方はいらっしゃいますか?きっと投げ出した人の方が多いでしょうね。もしも、読み終えた方がいらっしゃるとすれば、読み終えたということに感動なさると思うのですが(ぼくはそうでした。まあ、そうはいっても、最後の遺言は、いろんな意味で感動的なんですが。) にもかかわらず、「ドン・キホーテ」が新たに訳され出版されつづけています。ロマンス語系の文学研究者の方たちの心を揺さぶり続けているのは何故でしょう。 全くの私見ですが、理由の一つは、この小説が、「小説の小説」、メタ小説の始まりだからでしょうね。ドン・キホーテは誰かの書いた「騎士物語」を生きながら、そのうち、別の誰かの書いた「偽のドン・キホーテ」と闘うという、実に、夢だか現実だかわからない人物なのです。 数年前に、「一緒に読めば読めるでしょう。」と、知り合いを誘って読み始めました(もちろん日本語訳ですよ)が、前篇を超える頃から非難の声が上がり始め、脱落者が相次ぐという結果になりました。というわけで、無理には薦めませんが、読んでみると案外かもしれませんよ。 今回、ぼくは、日本語訳はともかく、ヨーロッパでの「ドン・キホーテ」に興味があったのですがよくわかりませんでしたね。例えば映画にしても、芝居にしても、日本の「忠臣蔵」のようなところがあるのかどうかも。ただ、多分、誰でもが知っている「物語」であることは、間違いなさそうですね。 というわけで、「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」の感想に進みたいと思います。(タイトルをクリックしてみてください。) ボタン押してね! にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.09.23 23:06:09
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