「100days100bookcovers no21」
五味太郎 「ときどきの少年」(新潮文庫) フェイスブックの画面にあるロバート・ウェストールという人の『海辺の王国』という本の写真を見て何の覚えもありませんでした。
記事を読み始めて、はてな?なんか知ってるという気分が湧きあがってきました。
「でも、まあ、イギリス人というのはよっぽど腹に据えかねているのか、ドイツ軍の空襲の話とか多いしなあ。」
「いや待てよ、でも、犬と少年の話やろ・・・。」
というわけで、我が家の「愉快な仲間たち」の残していった棚の前に座り込んで、子供の本が並んでいるのを見ているとありました。
で、その「海辺の王国」の近所の棚に住んでいらっしゃったのがこの本です。表紙をご覧ください。「犬」と「少年」です。ジャストミートとはこのことではないでしょうか。
五味太郎「ときどきの少年」(新潮文庫)です。
12歳のハリー君が愛犬ドンと歩いている海辺は、アイルランドとは反対側、北海に面した、だからドイツの空襲がリアルなわけですが、いろんな意味で荒涼とした海岸を少年と犬が「北」に向かって進みながら「ビルドゥングス」していくところが、なんともいえずいいわけで、なんてことを漸く思い出しながら五味太郎の本を手に取ってみると、これがなかなかやめられません。
五味太郎といえば「仕掛け絵本」や「なぞなぞ絵本」で子どもたちの王国を作り上げた人で、表紙の絵の「バス」とか「植木鉢」とかホントに懐かしいのですが、これは大人向けの「自伝エッセイ」と銘打たれた本です。
五味太郎君と思しき10代の少年が、ハリー君の「冒険譚」の、ほぼ10年後、1960年代の東京の西の郊外の町で暮らしています。
少年は自転車に乗って氷を買いに行った帰りに、麻袋に包んでいた「三貫目」の氷を、荷台から滑り落してしまったり、合唱コンクールの練習で「うまく歌おうとしてはいけない」という意味不明の言葉を髪振り乱して絶叫する女教師に恐怖していたりする、実に、貧しく平和な世界でノンビリ生きています。
似た時代を生きた世代の人には、どなたにも
「あったかもしれない」話
が描かれているのですが、並みの思い出話とは一味、いや二味、三味ちがうところが、五味太郎の味わいです。
なにせ、あの絵本の王国の王様の手管なわけですから「ユーモア」に不足はありません。しかし、もう一つの味の決め手は、記憶の中にある「謎」を描いているところです。
「水色の高射砲」というエッセイはその最たるものと言っていいでしょう。背より高く育ったトウモロコシ畑の中で広口ビンにアリを集めていた少年がいます。少年は頭上に来襲したB29の編隊と遭遇し、キラキラと雪のような爆弾を落とす光景を目撃します。不安になって振り返ると、畑の中には青空に向かって黄色い光を放つ高射砲があります。高射砲をあやつるのは、前掛けをした「提灯屋」の主人と白衣を着た二人の男たちです。
こんな引用の仕方をすると意味不明なのですが、ともかく、1945年8月20日生まれの太郎少年がそんなシーンを見たはずはありません。この記憶のシーンは「謎」ですね。
大人になり、やがて、老人になったかつての「少年」の記憶の中に、今考えてみると、どうしてもわからない「謎」がない人はいないのではないでしょうか。
お読みいただければ、「なぞ」が「なぞ」としてお分かりいただけると思うのですが、そこに、五味太郎の創作の秘密の一端が語られているのではないかというのがぼくの感想です。なにせ「なぞなぞ絵本」は彼の十八番ですからね。
ちょっとスリリングな、「エッセイ集」というより、限りなく「短編連作小説集」とでもいうべき作品集だと思います。
それでは、次回はYAMAMOTOさん、よろしくお願いします。(2020・06・20・SIMAKUMA)
追記2024・01・20
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