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カテゴリ:読書案内「社会・歴史・哲学・思想」
プラトン「ソクラテスの弁明 関西弁訳」(北口裕康訳・PARCO出版)
偶然というものは重なるものですね。ある日チッチキ夫人が妙なことを所望しました。 「なあ、『ソクラテスの弁明』って読んだことあるん?」 まあ、そういう会話がありまして、彼女が読んでいる本のことは、ちょっと置いておくとして、ちょうどフェイスブックを覗いておりますと、「友達の友達は友達だ」とでもいう成り行きで「お友達」にならせていただいた方の投稿にこの本が紹介されていたのです。 「お、ピッタリやん。」 「播州弁」の人、チッチキ夫人には岩波文庫版よりお似合いでしょうというわけで借りてきました。 ソクラテスが裁判で語っている場面はこんな感じです。 ソクラテス 関西弁のモデルは桂米朝の「口演」だそうです。米朝さんは播州の出だったと思いますが、落語でしゃべるのは、いわゆる「船場ことば」ということなのでしょう。 ただ、こうやって書き写してみると、音声なしの関西弁が、関東や九州の人にはどう読まれるのか、そこが、ちょっと面白いと思いました。 我が家では、シマクマ君は但馬の田舎者です。微妙ですが、どっちかというと京都から山陰本線沿いの方言です。チッチキ夫人は播州の北の端の育ちで関西弁です。 二人の言葉づかいで、「はし」とか「あめ」とかの二音節の同音異義語はことごとく異なっていて、日々の口げんかの種です。 「アメが降ってる言うてるやろ。」 但馬の田舎者が関西弁しゃべってるつもりが、播州の人が聞くとこうなります。 もちろん、普段、話している「会話」全体の「音」の強弱や高低もかなり違います。時々やってくる「愉快な仲間」たちやおチビさんたちが加わったりすると、皆さん、神戸育ちで「関西弁」ですから、ジージは孤立無援です。 なんか話がそれていますが、「関西弁」というと、やはり会話なのですが、この本にある、ソクラテスとクリトンとのやり取りも紹介してみます。 クリトン まあ、こんな感じです。今、現在の「関西弁」とはちょっとちがうような気もしますが、東京とかの人がお読みになると字面だけで、結構、ディープかもしれません。 この本で、ソクラテスを読み直すと、ソクラテスが、ただの「いちびり」で「へんこ」なおっさんに見えてしまいます。まあ、そのあたりどうなんでしょうか。 チッチキ夫人は「なんでそんな、国とか、法とか、くどくど、こだわっていうのか、ようわからんわ。」と一喝でした。 哲人ソクラテスもかたなしでんな。めんどくさい、隣のおっさんだったようです。 にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.05.19 10:41:10
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