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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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2021.04.22
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​​​ ​クリストフ・フィアット「フクシマ・ゴジラ・ヒロシマ」(明石書店)​

 市民図書館で棚を見ていて目に留まりました。批評家の加藤典洋「さようなら、ゴジラたち」(岩波書店)という評論集がありますが、あの本は、確か、東北の震災、福島第1の大事故以前だったような記憶も浮かんできて、「はてな?」という気分で手に取りました。奥付を見ると、出版年月日が2013年3月11日となっているではありませんか。なるほど、面白そうじゃないかというわけで読みました。
​​ 著者については、よく知られた人ではありません。ちょうど、訳者平野暁人が、あとがきで著者を紹介しているのを見つけました。
​​​​ 著者フィアット1966年生まれ、フランシュ・コンテ地方出身のフランス人で、本国でこれまでに出版された著作は「スティーヴン・キングよ永遠に」・「バットマンの冒険をめぐる叙事詩」他十冊を数える(2013年現在未邦訳)詩、小説、評論他多様なジャンルを手掛けるが、とりわけポップ・アイコン(大衆文化において記号的な役割を果たす人物、作品、キャラクターおよび概念その他)に現代思想を援用して読み解くスタイルを得意としている。​
​ というわけですが、実は劇作家で演出家で、役者でもある人らしいのです。日本には、最近、兵庫県の北部の町、豊岡市に演劇大学を作った劇作家平田オリザに誘われてやってきたらしくて、2011年4月から約一か月の間フクシマヒロシマなどを取材旅行したようです。
​​ 平野暁人は、その間、通訳として彼に同行した人のようです。平野によれば「紀行文風小説」ということになるのですが、ぼくは、まあ、普通とは言えないけれど、ただの「小説」だと思いました。​​
​​ 作品は、日本にやってきて、1966年ロラン・バルトが泊まった(まあ、わざわざ、そう書いてあるところが面白いのですが)日仏学院を根城に、平田オリザ平野暁人と一緒に福島県の「いわき」に出発するところから始まります。
​​​​「あのねクリストフ、今日は汚染地域ギリギリまで行きます」
オリザが言う。
「あそこに入るのは、ジャーナリスト以外ではクリストフが初めてだよ。怖い?」​​
​ ​​​​平田オリザの運転する自動車でフクシマに向かう「僕」は、「海」を見ながら、なぜか「ゴジラ」のことを思いはじめます。​​​​
​​​​​ とまあ、こんなふうに小説は始まります。で、被災地の海岸に佇む「僕」「ゴジラの雄たけび」を耳にし、その場所から、フクシマ、トーキョウ、ヒロシマと、「ゴジラとの遭遇」、あるいは、彼自身の中にいる「ゴジラ」の顕現「夢見る」旅をつづける顛末を小説化した作品でした。​​​​​
​​​​​​ ぼくが題名を見て思い出した加藤典洋との出会いも描かれていました。フィアットも作品中で言及していますが、加藤の「ゴジラ論」の肝は、南の海で生まれたゴジラが、フィリピンにも、台湾にも、モチロン、ハワイにも目もくれないで、まっすぐ「日本列島に還ってくる」という、その行動パターンに注目した所にあると思うのですが、フランス人のフィアットにとっては「放射能の申し子」であるゴジラを、宗教的な「畏怖の対象」として「不気味なもの(フロイト)」だと考える加藤との出会いが、彼自身の「ゴジラ」像を成長させ、やがて、市ヶ谷で割腹自殺したミシマへと関心を広げていく展開は、なかなかスリリングなものがありました。
 図式的になぞれば、フクシマ(原発事故)
 →​ トウキョウ(余震) →​ ヒロシマ(原爆) →​ カトウ(戦後論) →​​​ミシマ(英霊)となりますが、これをつなぐイメージとしてゴジラが想起されています。​​​​​​​​
 大雑把な言い草で申し訳ありませんが、こういう発想は、やはり、「外から見ている視線」が作り出すもので、現在の日本人には見えてこない新しさを感じさせました。特に、三島由紀夫にたどりついたあたりは、ちょっと、虚を突かれたという感じでした。
 作品のかなり重要なエポックであるフクシマをめぐる記述の中に、通訳であった平野暁人の父で、東電や国の原子力発電所にかかわるリスク管理の仕事をしている人との面会の場もありました。
 ​最後に平野氏は言った。安全管理とはすなわちリスク評価に基づくものだ。けれど千年に一度来るような災害に関しては、つまり三月十一日のケースがそれだったわけだが、データを集めて数値を見積もること自体が難しい。いずれにしても、異常事態に対しては様々に異なるレベルでの介入措置があり、今回のように深刻な状況になるのは稀なのだ。   
 そしてこう締めくくった。「福島の原発はもう手詰まりなんです!」
​ ​​2021年4月の今読み直しても、実にリアルな発言ですね。この小説の不思議な面白さは、作家が出会った人たちとの、こういう記述にあると思います。フクシマヒロシマで出会った人に限らず、たとえば加藤典洋の発言に、揺り動かされるように、作家が描く淡いフォーカスの物語の中で​ゴジラ​が蠢動し始めるイメージは刺激的でしたよ。​​



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最終更新日  2021.04.22 00:15:33
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