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クラウス・コルドン「ベルリン1919(上)」(酒寄進一訳・岩波少年文庫) ドイツの作家クラウス・コルドンという人の「ベルリン1919(上・下)」(岩波少年文庫)を読んでいます。
「ドイツ・11月革命」といって、その顛末が浮かぶ人はほとんどいないと思いますが、1918年「キール軍港」の蜂起に始まり、ドイツ帝国を倒した革命が、半年ほどの間に、映画でいえば「アンチ・クライマックス」な、しかし、歴史的に振り返れば、ドイツの共産主義者やドイツの労働者にとって「悲劇」であることは間違いない結末を迎えたことに、憤りを感じる「青春時代」を過ごしたシマクマ君は、子供向けの叢書のシリーズという気安さも手伝って、読み始めたのでした。 訳者は酒寄進一という方ですが、「あとがき」でこんなふうに解説しています。 本書はクラウス・コルドンの「転換期三部作」の第一作にあたります。原題は「赤い水兵 あるいはある忘れられた冬」です。邦題からわかるとおり、1918年から1919年にかけての冬のベルリンが舞台になります。 これが、本書「ベルリン1919」の大まかなあらすじですが、もう少し捕捉すると、主人公は「ヘレ」という愛称で呼ばれる中学生で、ドイツの中学校といえば「ギムナジウム(中高等学校)」を思い浮かべる人もいらっしゃるかと思いますが、彼は庶民の子供たちが通う市立中学校の13歳の男の子です。 本名はヘルムート・ゲープハルトで家族は工場で働く母親、上巻の途中で、片腕を失った「傷病兵」として復員した父親、6歳になる妹のマルタ、まだオムツがとれないハンス坊やの5人です。ヘレには、もう一人弟がいましたが2年前にインフルエンザで亡くなっています。 その中学生ヘレ君が、第1次世界大戦下の貧困と飢餓にあえぎ「革命」と「反革命」がせめぎあう動乱のベルリンの街で暮らしている様子が克明に描かれていました。 妹マルタや乳飲み子ハンス坊やの世話をしながら、薪を拾いジャガイモを盗む生活の中で、復員した父や貧民街で生きる労働者の革命運動の世界に潜り込み、やがて、「真の革命」に目覚めていくというストーリーですが、社会に対して真っすぐな疑問を持つ中学生というヘレ君の設定は、65歳を超えた老人をワクワクさせるに十分の展開で、上巻を読み終わりました。 シマクマ君にとって、この作品のクライマックスは、上巻も終わりに近づいた「友と敵」の章の半ば、あのローザ・ルクセンブルグが登場するこのシーンでした。 人だかりのなかにとても小柄な女性が立っていて、近くにやって来た水兵たちに親しげにほほえみかけた。その女性は、壁にはられた一枚のポスターの前に立っていた。そのポスターにはこう書かれていた。 もしも、この作品を読む中学生がいたとしても、このくだりを繰り返して読む中学生はいないでしょうね。 この記事を読んでくださる読者の方の大半も、こうして引用して、喜んでいるシマクマ君の興奮はご理解いただけないでしょうが、70年代に「ドイツ革命」や「ロシア革命」がおもしろくて仕方がなかった「青春」を過ごした人間にとってローザ・ルクセンブルグはあこがれのスターなのです。 なぜ、彼女がスターなのか。それは1918年、12月のベルリンの街に登場したローザ・ルクセンブルグの彗星のような生涯に、その原因があります。まあ、そのあたりについては、下巻の「怒り」の章で明らかになるはずです。 上巻を読み終えて感じたことが二つあります。 一つは、はたして、今、現在、わたしたちの国の中学生や高校生が、この「歴史小説」をワクワクしながら読み切れるのだろうかということです。ご都合主義の歴史解釈が大手を振ってまかり通る時代の深刻な犠牲者は、10代の子供たちだと思います。若い人たちは、自分たちの社会の歴史に対してさえ、興味を失っていないでしょうか。100年も昔の出来事ですが、1918年のベルリンの街で、実に生き生きと「革命」を生きていた、同世代の少年の姿は、2020年の10代の人たちの心に届くのでしょうか?なんだか心もとないなあというのが、さびしい実感でした。 で、二つ目です。「下巻」を読み始めることがなかなか出来ません。いや、読むんですが、ここから起こる悲劇が、どんな風に描かれるのか、ドイツ革命の悲劇をヘレ君はどう生きるのか、どうにも書き換えようのない歴史的事実を、あらかじめ知っているというのはつらいものですね。 読み終えたら、また報告しますが、なんとなく手間取りそうですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.07.12 00:17:26
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